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ロンリーナイト

彼氏と金がほしい26歳喪女の独り言です

語彙力の低下を嘆く

私がインターネットをはじめたのはもう15年ほど昔の話であり、同時にそれははじめて自分の「サイト」を開設した時期でもある。


当時は私は小学三年生ぐらいのちんちくりん、インターネットはギリギリモデムをピーガー言わせていた時期は過ぎていたように思うけれど、まだ一般的ではなかった。
我が家は父の仕事柄、かなりお高かったにも関わらずパソコンがリビングに置かれていた。
オタク気質まるだしの小学生らしく、将来は漫画家になりたいと訴える小学三年生の私にいきなりイラストレーターとフォトショップを与えこれで絵を描きなさいとぬかした父なので、サイトを立ち上げると言ってもまったく反対せず、むしろやさしい目でみてくれていた。

小学生の当時に立ち上げたのは“赤ずきんチャチャ”だったかのファンサイトで、ファンサイトといってもなにがあるわけでもなく、「わたしは小学三年生ですv」みたいなプロフィールページと、動物のアイコンが選択できる掲示板と、他の方のファンサイトへのリンクくらいのもんだったが、それでも「自分のサイト」はうれしかった。

時は流れ中学生になっても、私はまだ「サイト」を持っていた。
だが、そこまでには幾度もサイトを作り、作っては消し、むだに移転をしてみたり、サイト上にヘタクソな絵を載せることを覚えてしまったりと、あらゆる迷走を繰り返していた。
しかも、小学校高学年のときウッカリBL、つまりはボーイズラブの沼へと転げ落ちたもんだから、サイトの中身は大変なことになっている。
もはや父に教えられるようなものでもなく、私は父から譲り受けたノートパソコンでこっそりとサイトを更新していた。

メインコンテンツは「自作小説」であった。

なぜ小説なのかというと、まずペンタブを持たないちんちくりんにイラストの公開は難易度が高すぎた。
漫画なんて、もっとむずかしい。コマを割って台詞を書き、人物を動かす必要がある。無理だ。
それに比べ小説は文字を書くだけでいい、なんて楽なのだろう。
加えていうと、当時の私は大好きで通いつめている憧れのサイトがあり、そこが小説サイトだったから、すぐさま影響されて小説を書くようになった。

その趣味は高校生になっても続いた。
が、その乱文がひとめに触れることは減っていった。
身内向けの小さなサイトに規模を縮小し、ユーザー名やパスワードで入室を制限しはじめたからだ。
理由は単純、ほんとうに「内輪向け」だったからに過ぎず、その頃には広大になりつつあったネットの海に泳がせるにははばかられる内容だったからだ。

その身内だけの世界で遊んでいた期間が、だいたい6年ほどあった。

そうして遊んでいるうち、いつしか私は、「外へ発信する力」というものを失っていた。

もともと公開していたサイトだって、せいぜいウェブリング(!)に登録していた程度にすぎないのだけれど、それでも赤の他人が見てくれることも多かった。
それにくらべて、高校生からは延々知り合いたちとだけツルんで遊んでいたのである。
人目を失うと、人は向上力を忘れる。
否、忘れないようなすばらしい人も居るだろうが、すくなくとも私は忘れてしまった。

トドメはSNSの普及、それも「ツイッター」の存在だった。
140字で手軽に言いたいことを言い、思ったことを発信できるツールは、私の脳味噌から言語能力をまるっと失わせた。
どうして言語能力が消えてしまったのか、それは今も考えているのだけれど、理由はイマイチわからない。
ただ、他人の言葉をつい真似てみたり、パズった流行りの語句を繰り返すだけになってしまったり、そういった悪い一面はかぎりなくあったと思う。

とはいえ、別に語彙力がなくなろうが、べつに日本語がまったく話せないわけではない。
社会人としてのいっぱしに見えるような言語は失っちゃいないし、ことばとは常に変化していくものという考えもあるし、最悪五十音さえ忘れなければどうってことはないはずなのだ。

 

ただ、私はオタクなのである。
それも、サイトで自作の小説を載っけていたような、創作がしたいタイプのオタクなのである。

さいきん、久々に小説を書こうとメモ帳を広げてみたのだけれど、まー、もう、まったく言葉が出てこない!

…というのは今知ったことではなく、実は5年前ぐらいからたびたび繰り返してきたことだ。
「そろそろ、あのころみたいに小説を書いてみよっかな」→「書けなくなってる…言葉が出てこない…」→「無理だ、やめよう」からの半年から一年後に「また書いてみようかな…」の繰り返し。

これにいよいようんざりしたので、小説でなくともいいからなにか書いてみよう、というのがこのブログだったりもする。
そして、書いてみていて改めて思う、語彙力の低下。
こんな何が言いたいのかぼやけきったファジーな文章を書きたいわけではないのに、いつしか記事は輪郭を失い、もやもやとしていく。
目標が定まっておらず、目先の浮かんだ言葉ばかりを羅列していく、迷子のような心地。
なんだこれは。こんなことがしたいわけではないのだ。

毎回ブログのオチのほうでこんなことを言っているあたり、まるで進化がみられない。

語彙力の低下はもちろんのこと、発想力や計画力の低下もいちじるしいのだな、と思う。
書き始めてから考えている部分があまりに大きすぎるのだろう。
これはツイッターで140字の文面を連投しているときもそうであり、ひとつめの140字はまだ明確な意思を持っていないことが多々ある。
それから3ツイート、4ツイートぐらいしてみて、やっと、自分がなにを言いたくってツイートをしはじめたのかに気がついたりする。
その「なにがいいたいのか」にあらかじめ焦点を絞っておくべきなのだな、と、小説の初歩の初歩みたいなことを今更言い出す自分よ、大丈夫か?

 

まあ、大丈夫じゃなかろうが死にはしない。職も失わないし、家もある。これから覚えるからセーフ。うんうん。