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ロンリーナイト

年齢イコール彼氏いない暦な腐女子のひとりごと

寄り道

寄り道、道草、遠回り、迂回、気を逸らす、心ここにあらず、なんでもいいのだけれど、そんなぼんやりとした状態がつづいている。

やりたいことがある。

ゆくゆくは今の仕事を辞めて、これ一本で食べていけたりしないかなぁと願うぐらいには「やりたいこと」だ。それを「これ一本で食べていくぞ」と断言できない自分の弱さが気になるところであるが、そんな現実的でいがいと夢を見ないのは美点であると思っておこう。せめて自分だけでも!


さて、そんな「やりたいこと」であるが、「やりたいこと」であるはずなのにうまく捗らないのだ。

 

己で選んだ趣味というか副業候補にもかかわらず、このていたらく。

まるきりの初心者というわけではなく、高校時代に趣味でやってきたことなので(たとえば絵とか、小説とか、ギターとか、ダーツとかビリヤードとか、そういうものだ)やり方をしらないというわけでもないのに、いざ本腰を入れて「これで生きていけるようになろう」と気合いをいれると、なんともまぁ、進まないこと、進まないこと。

気合いをいれるからだめなのだろうか。もっとフラットに、たのしく挑むべきなのだろうか。

すくなくとも「楽しく」はそうするべきだと思うのだが、いかんせん楽しくないのでどうもしがたい。

楽しくやれないのに職業にできるのかといわれるとひじょうに悩ましいところだが、しかし今の仕事はもっと楽しくはない。世の中を生きるのはむつかしい。

 

集中はだいじだ。

あたりまえのことだが、ほとほとそう思う。

もともと注意力散漫で、テスト前になると片付けをはじめるタイプの学生だったけれど、それでもどうしても必要な勉強というのはしていた。義務教育は興味がなかったし必要とも思えなかったので散々だったけれど、専門学校に入ってからの勉強は、自分でもびっくりするぐらい頑張った。なぜあんなに頑張れたのか、いまだによくわからないのだが、やはり「高い学費を払って入れてもらったからにはやり遂げねばならない」という意識が強かったのかもしれない。

そこにきて、現状の情けなさよ。

たしかにいまも病がつづいているし、そのうえでなおかつ仕事もしていて、いっぱいいっぱいであるのは事実だ。だが、それを打開すべく現状を変えようと願ったのは自分ではなかったのか。高い金を犠牲にしていないからだめなのか。否、犠牲になっているといえば、もうなっている。これが成し遂げられなければ時間を無駄に費やしたばかりで、別のところに注いでいればなんらかの収入になったかもしれない。それが得られない以上、ある意味金銭は犠牲である。

 

わかっている。

だが、寄り道はやめられない。

このブログのことなのだが。

 

かたくなな意思、集中力。一本の道をひたむきに邁進する力。

それは才能なのか努力なのか、意地なのかどうなのかわからないが、いずれにせよ今の私には著しく欠けているのだった。

 

お久しぶりです

存在は正確に覚えていたものの、なんとなく筆を取るのがおっくうでどうにもほったらかしにしていたのだけれど、いよいよもって自分の生産性のない日常が嫌になってきたので、リハビリがてら「ブログ」という形からはじめてみようと思うわけです。続く気がまったくしないのだけれど、ええい、そんなことを気にして一歩目が踏み出せるものか!

更新せずにいた二か月のあいだにはずいぶんといろいろありました。

鬱で休職したり鬱で休職したり鬱で休職したり、それで有休を使い果たしたあとに大病で入院して、有休がないからガチで給料が削られて終わったりだとか。来月の給与額を思うとあまりに憂鬱。

しかも鬱になるぐらいにただでさえ病んでいたところに病気でしたので、より不安が高まるというか。完治してないんですよ。ただいつまでも休んでられないからしぶしぶ復帰したところで病ですからね。地獄。


なぁんてことを永久に考えていたらいよいよ気が滅入って来てですね、それはそうに決まっている、だって無限にマイナスなことばかり考えているわけなので。いや、私にとっては正直もう「マイナス」でもないんですよ。ネガティブなことを考えるのって。ネガティブでもない。あるがままの事実について悩んでるって感覚なのです。

「給料が減るなぁ」とか「病気がなかなかよくならないなぁ」とか「会社に迷惑をかけてしまっているなぁ」とか、「そういう愚痴をSNSでこぼして友人たちにも嫌な思いをさせているなぁ」とか。事実なんですよ。それについて「辞めなければいけないんだけどやめらない、どうしよう」って常に思ってしまう。それを、いちいちネガティブだ~とかマイナス思考だ~とか言われても困るんですよ。だって、「困難があって弱っている」ということは現実だもの!

 

なぜいきなりそんなことを言うのかと言われますと、このごろ占いだとか開運だとかに少し興味を持ちまして、そういった本であったりブログであったりをよく読んでいたのですね。なにせ時間は無限にありますから。

そうしたなかでよく言われるんです。

 

「口にしたことが現実になるから、ポジティブなことを言う」

「人間は思っているほうに引っ張られるから、いいことを考える」

「心配性なのはいいことだから、気にしすぎない」

 

…これはあくまでざっくりとしたニュアンスであり、本当はもっと「ごもっとも!」と頷きたくなるような表現でしたが。

そう、それらの文章を読んだとき、たしかに「そのとおりだ!」と思ったんです。

そして自分もマイナスであったり、ネガティブなことだけを考えてはいけない、我慢しようと、そう考えて一週間ぐらい過ごしたのですね。なんですが。

あまりにクセづいているといいますか、先も言いましたが普通なんですよ。私のなかで。「悪いことを想定しておく」というのは。いってみれば「地震が来るから対策グッズを準備する」とか、「あした小テストがあるから予習しておく」とか、そういったことと同じ類なんですよ。「給料が入らないから悩んで悩んで節約を考える」とか、「病気が治らないから最悪会社を辞めることを想定しておく」とか、それを「マイナス」と言われたって、ぶっちゃけ困る!としか言えないんです。


ただ、そう思えるぐらいまで「マイナス」「ネガティブ」「後ろ向き」な自分を自覚し、開き直れたまでは良かったかなぁと思うのですが。

本当はもう少し楽しくハッピーなことを考えられるようになれれば最高なのでしょうが、正直にいえばそんな能天気な人間、そもそも私は好きじゃないし憧れないというどうしようもない事実も見えてきたので、卑屈で繊細でめんどくせえ人間ながらも、ほんのすこ~し人生楽しめに生きられたらなと思う次第です。はい。


というわけで、少しでも「自分頑張ったな」とか「よくやったぞ」ということをいちいち言葉にしていくところからスタートしたいと思います。

これまでは、「自分なんであのときああしなかった」という後悔ばっかり言葉にしてきましたからね。「土日ずっと寝てた…」とか「あ~今日もまた仕事捗らなかった~」とか「やらなきゃいけないことだったのに忘れてた」とか、そんなツイートばっかり。

それはせめて、いきなりゼロというのは難しいと学んだので、ちょっとずつね。ブログからもね。別の方向性からアプローチをキメていきたいなぁと。


さてそんなわけで「今日頑張ったこと」ですが。

少なくとも10時に起きました!えらい!

いや「遅いぞ」とお思いの方もいらっしゃるかと思うのですが、私にしては早いです。あといまも病をすこし引きずっているので、身体がしんどいのです。でも寝ずに起きました。バンザイ!

そしてお洗濯もしましたし、少しですが部屋のお掃除もしました。エライ!

 

あしたからは億劫きわまりない会社のスタートですが、この調子で自分を褒められるようなことをね、一日すこしでもいいからやっていけたらなと、思います。はい。

 

日常が腐敗している

このごろ、捨て損ねたゴミから腐ったにおいがたちこめており、部屋が地獄と化している。

ただでさえモノにあふれかえった汚部屋にもかかわらず、においまで臭かったら本当に生きてはゆけない。


ゴミをまとめることはしているんだけれど、ゴミの日を忘れてしまったり、そういう日にかぎってうっかり朝寝坊をしたりするので、どうもこうも、捨てることがままならない。
それが3週間ばかり続いたので、そら異臭もするわという話だ。
余談なんだけれど、ゴミ捨て場のすぐ目の前のお宅のおばあちゃんがそれはそれはおっかなくて、ゴミ捨てを細かに監視し、分別を間違えると怒鳴り込んでくる。
冤罪で一度めちゃくちゃ叱られたことがあって(わたしのゴミじゃないんだけどわたしのゴミだと思われた)、謝罪もなく、あれからゴミ捨てが恐怖なので、そういう「捨てに行きたくねえなあ」という気持ちも作用しているのかもしれない。

 

腐敗し、悪臭を放つのは実物のゴミばかりではない。

こうやってブログやら日記やらで吐き損ねた言葉のゴミみたいなのが脳味噌に次々蓄積され、どうもこうもすっきりしない日々を過ごしている。
しかし蓄積されたゴミのような言葉というのはあくまでゴミのような言葉でしかなく、それを発することではなんの薬にもならず、どちらかといえば毒に近いので、なんだか発散もためらわれる。

 

毒を抱えるばかり、それどころか増やすばかりの日々はそろそろやめたいのだが、今のところ逃げ出す算段もない。

生活もそうだ。

仕事、日々の暮らし、趣味。

ただもうすこし生きやすくしたいだけなんだけど、自分で色々蓋をしたことが腐りすぎていて、どうしようもこうしようもなにもない。

まずはその腐ったあれやこれやを埋葬なりしてしまわねばどうともならず、けれど、その方法がわからない。

私はどうやって、このイヤになってしまった仕事を、ガマンならない日々を、もっと充実させたい趣味を、供養すればいいのだろう。

わからない。

 

なんとなくだけど、小さい頃から、人間とはまっとうに社会人として働いて暮らさねばならないと思ってきた。

だから、たとえば「バンドマンになる」みたいな夢を追う人がまぶしくて、目を覆って、あまり応援せず、むしろどこか忌み嫌って、そうしてやり過ごしてきた。

でも、そういったきらきらしたものに蓋をして生きてきたけれど、本当はわたしはまっとうな社会人として暮らせるだけの器がなくて、まだ夢を追っていたほうがいくばくかの救いがあったのではないだろうかと思ってしまうようになった。

気付いたときにはもう蓋の中の夢は腐敗したあとなのだ。

私はどうしたらいいのだろう。まだ間に合うのだろうか。この腐敗を捨てて、あらたな夢を抱くべきなのだおるか。それとも、この地獄みたいな日々を続けるべきなのか。

 

どちらにせよ地獄のようにしんどいのは確かだなと気付いたので、ならばやりたいことをやるべきなのかもしれない。ううん。

 

しかし、それはあくまで夢物語であり、夢見たから、努力したからという単純な理屈で成功できるものではないと、私は痛いほどよく知っている。
つまりは失敗が怖いのか。成功できないと思っているのだろうか。

少し違うかも。

うーん、結局いまいくつか抱いている「理想」「夢」をかなえてもきっと不満はまた噴出し、理屈をこねて現状を拒否し、「やはりあのとき真っ当に社会人を続けていればよかった」と言い出す自分が見えるようだからかもしれない。わたしはそういうところがある。

だからこそ自分を信用せず、夢が見たいと訴える自分を無視し続けた結果、あえなく今も苦しんでいるわけで、結局考えるばかりで行動に移せないような人間はなにをしてもダメなんだと自らを持って証明しているに過ぎない。おいおいベイビー勘弁してくれよ。

 

しかし考えるのがクセづいてしまい、行動しながらも思考を止められず、結果足も止まってしまうところがあるので、どうしたら行動というのは出来るようになるのでしょうね。

なにかをおそれなければいいのだろうか。楽しい!って思えたらいいのだろうか。

それが出来ないようじゃやっぱり「夢を追う」のは向いていないんだろうか。

漫画家とか、そうだって言いますしね。休憩中でも休みでも漫画を描いちゃうような人じゃないとつとまらないって。頭で考えてしまって手が動かない段階で、ほんとうはもうダメなのかもしれない。

っていう諦めだけではやはり「現実」に向き直ったとき苦しくて、うーん。

 

こうしたクリエイティブな「夢」に邁進する身近な人物がいないので相談もしづらいのでより病むのだが、居たら居たで自分と比較し落ち込むだろうし、やはり考える前にやれよと自己嫌悪するに過ぎないだろうから、やはり、なんだ、やっぱり動けないあいだにモノは腐ってゆくのでしょうね。

 

 

 

頭がずがんずがんする

タイトルの通りです。

頭がずがんずがんします。

 

おおむね理由は検討がついていて、まあ、どうせ眼精疲労とそれに伴う肩こり・背中こり・首こりあたり。

卵が先か鶏が先かみたいな話だけど、こりのせいで目が痛いのか、はたまた目が痛いのでこりがひどいのかは謎。

同時にあれやこれやとケアをこころみるも、いまいち進展はなく。

 

目は休めるのが一番だと思うし、昔は、もっと若いころは、寝りゃあなおっていたんだけど、このごろは寝てもサプリ飲んでもなにをしてもなおらないったらない。

年齢のせいなのか、蓄積された疲れのせいなのか。

めんたまとりかえたい。そうでなくとも、せめて取り外して洗いたい。

 

仕事でPCを使っているのだからプライベートでは休めたいけど、ソシャゲ・お絵かき・読書と見事に趣味が目を使うものばかり。

大体、目を使わないって至難の技では?

ラジオを聴こうとしたりもしたけど、聞いてると感想をツイートしたくなってしまってうずうずしてしまい、どうしてもだめでした。

かといってぼーっと目をつむっていると、それはそれで浮かんだ考えをツイートしたくなるのでダメという…。

落ち着きがほしいものですね。

死んだようにねむる

ということが出来たらよいのだが、このごろ、快眠とは程遠い日々である。

 

6月中はわりとおだやかに眠れていた。

アプリ「快眠サイクル」を利用してグラフを見るかぎり、0時に目覚ましをセットしたあと、だいたい1時ぐらいまでごろごろと眠れずに過ごし、その後は6時か7時ぐらいまで眠れている、そんなリズムだった。


あまりにそれで安定しているので、このごろは「快眠サイクル」をセットせずに眠ることも増えていたのだが、するとどうだろう、様子が違うではないか。

あわてて昨日から「快眠サイクル」をセットしたのだが、まずそれが1時だった。この段階でもう1時間、睡眠時間をロストしている。

そして朝8時、目をさましてグラフを見ると、寝たのがだいたい2時半ごろ。
起きたのは8時だが、見ると5時ごろと7時ごろにも起きた形跡がある。
7時ごろは、そういえばふっと目がさめた記憶があるような気がしてくるが、5時ごろのはマジで覚えがない。

 

きれいにねむるとは、どうすればよいのだろう。

じつをいうと、このごろどうしても会社に行くことが精神的にきつく、社会人失格!この愚図!どべ!バーカバーカ!!を自分を罵りながら朝にいきなり休みの連絡を入れた日があったのだけれど、その連絡をしたとたん、ふっと眠気がやってきて、そのままグッスリねむってしまった。

予定がない、というか、「とくべつ急いて起きなければならない」という状況であればこんこんと眠れる。

それは確かだ。

しかし、有用ではない。

なぜならわたしはもう26歳なのである。


でも、本音をいえば毎日毎日こんこんと、ただねむっていたいものだ。

誰にも会いたくないし、まして、会社などごめんである。

 

私の人生、ただ死んだようねむれたらそれでいいのだな、と、しみじみ感じた。

人の話を聞くことができない

クズきわまりないタイトルである。

しかし読んで字のごとくだ。

わたしは、人の話を聞くことができない。


昔からそうなのだが、わたしは1聞いただけで100を理解できるところがある(と、自分では思っている)。

それはもしかすると利点なのかもしれないが、現状、そうでないと感じることが多い。

1聞いて、100理解できる(ような気がする)。

そして、まだ1しか受け取っていないにも関わらず、200ほどの言いたいことがすぐさまポンと浮かんでしまうのだ。


いちおう分別あるおとなとして、まだ1しか聞いていないのに200を言い返すわけにもいかない。

ぐっとガマンするのだが、しかし1聞いて200ということは、10聞けば2000言いたいことがあることになる。

 

200ぐらいならガマンできる。

しかし、2000も言いたいことがあると、もう言葉のダムは止められない。

そうしてわたしは、人の話を聞くことを早々に放棄して早々と自分の話にもっていってしまう。

これは、アメトークの名作回「どうした!?品川」でいうところの、「トークの横取り」とほとんど変わらない、と自分で感じている。

そう、わたしはなにを隠そう「おしゃべりクソ野郎」なのである。

女なので、もしかしたら「おしゃべりクソ女子」、女子ってトシでもないから「おしゃべりクソ喪女」かもしれない(いずれにせよ、語呂は悪い)

 

そんなだから、気付くと友達がなにかを言いかけたのに話を聞かず、自分のことをぺらぺらとおしゃべりしてしまう。

友達たちはみんなやさしいので気にしているそぶりなんてないのだが、どう考えても問題だ。

猛反省し、改めようと思い、「人の話を聞く方法」などといった本をいくつも買うのだが、そこでの教えなど付け焼き刃にすぎない。

それでも、友達に会って一時間、二時間ぐらいは制御可能だ。
しかし場が盛り上がるにつれてどんどん楽しくなってしまい、ついついトーク強盗をしてしまう。

なんとかしたいものだ。

 

深刻な問題であるが、友達たち相手ならば、わたしが嫌われるだけにすぎないので、まあよいのだ。よかないが。

問題は仕事である。

 

相性の悪いことに、わたしの上司もかなりのおしゃべり野郎で、1から100どころか、ほうっておけば1から10000ぐらいまではかるぅく喋る。

いちおうは仕事に関わる教育的な話、技術的な話なのだが、「もう100回は聞いている」ということまで喋るので、いちいち聞いていると身体が持たない。

耳タコなんていうレベルではなく、冗談抜きに精神を病みかけた。

そんな話題はてきとうに聞き流しているので実害はさほどないのだが(興味がないのが伝わったのか、このごろはそんなに話しかけて来ないし)問題は「これが1回目の話」だった場合だ。

 

まずはじめに、上司がベラベラと喋り続けているなかから「はじめての話」をきちんと見つけ出すこともむずかしい。

入り口はいつもどおりなのに、気付いたら知らない情報を解説していて、「待て待て待て」となることもしばしばだ。

そして、そんな「知らない情報」も、1聞けばうっすら100まで理解できる。

それにも関わらず上司は10000まで喋る人間なので、はたしてどこまで集中して耳を傾けてよいかがわからないのだ。

全部聞けという話だが、そうしていては気が狂う。

それでもガマンして聞いてはいたのだが、そんな生活を4年もしていたのでこのごろは冗談抜きで精神を病み、もう上司の顔も見たくない、ともすれば殴りかねない境地まできているので、取捨選択はひじょうに重大な問題だ。

 

平素はおしゃべりなわたしだが、上司に向けてペラペラおしゃべりする趣味はない。

というか、もともと職場で無駄口をたたくのはきらいだ。

マク○ナル○でバイトしたことがあるのだが、同僚や社員たちがプライベートな話をぺちゃくちゃしながら働いているのが理解できず、すぐさまやめてしまったこともある。

そんな身なので、上司の話に対してもいいたいことはゴマンとあるのだが、つい口をつぐんでしまうのも、けっこう居心地がわるい。

(そうでなくとも20歳も年上の上司と常から雑談しまくれるような精神はもちあわせていない。基本、オジサンは嫌いなのだ)

そういうストレスもあって、つい友達のまえにいくと喋りすぎてしまうのかもな、とかんじる。

 

あとはSNS、つまりツイッターでのつぶやき量も、わたしはえげつなく多い。

ふつうのひとは友達相手に発散したり、家族や恋人と会話があるだろうからそれなりにおさえられるのだろうが、わたしは友達もすくないし、家族は遠方、恋人などいるわけがなく、言いたいことを言える場といえばツイッターぐらいのもの。

たまに友達を運よくつかまえられてもトーク泥棒をしてしまうわけだし、自分が上司からされている「延々言葉を浴びる」を体験させてしまうわけで、それが申し訳ないから誘いづらい部分もある。

ツイッターだとあんなもんいくらでも読み流せるだろうから、「見ないでくれ」と言いながらいくらでも垂れ流せてしまう。

(「見ないでくれ」というぐらいなんだからフォロワー0の鍵垢を取ればいいと思い、実践したが、まったくだめだった。どうも「アピールしたい相手」がいるから言いたいことが浮かぶらしい。そして、それは「相手に見えるところ」で言えれば気が済むので、実際見ているかどうかはあまり問題ではない…という、めんどくさい心の構造だ)

 

かくして、わたしは永久にツイッターでつぶやきつづける暇人になってしまっている。

 

 

アウトプットもたいせつだ。

言わなければ気がすまない気質なのは昔からだから(母親になんでも報告するこどもだった)改めようもないのだけど、その手段を選ばなければならない、と思う。

 

そこを改善すれば、すこしでも人の話を聞けるようになってくるのではないか…と期待している。

 

とりあえず植物か、ぬいぐるみ相手に喋ればいいのかなあ。

ひとりでラジオでもやってるふうにひとりごとを言い続ける、というのもたのしそうだな、と思っている(むなしい…)

とりとめのない話

普段は自分から誰かに連絡することができない。

忙しいかな、とか、
私なんてどうでもいいよな困るよな、とか、
こんな連絡してリアクションに気を遣わせるかも、とか、

いろいろ考えてしまうと、連絡を引っ込めてしまう。

それはみんなが大切なひとだからで、不快にさせたくないし、こんな連絡はただの甘えだって、そう思ってしまっているからだと思う。


甘えられる場があるのは、うれしい。
今までにはそんな場、なかった。
うまれてはじめてのやさしい場所で、だから、どうしてよいかがわからないのだ。

急に連絡をしては迷惑だろうか。
ご飯行こうとかでもない、わりとどうでもよい雑談。
みんな、LINEでよくやってるかな、やってるよね、どうだろう(LINEがにがてなのと友達がいないのとで塩梅がわからない)


色々悩んで、LINEしてみて、みんなやっばり優しく返してくれる。
それでも気を遣わせてないかなって、すごくすごく心配で、甘えたのは自分なのに、甘えたことを後悔してしまう。

ここで連絡したぐらいで気を遣うってことは、私は誰かからこんな連絡が来たら迷惑で、でも気を遣って無難に還すのかな、なんて、そんな自分がまたいやで、とても悩み、落ち込む。
連絡する前に控えたらよかった、わたしが、甘えたい気持ちを我慢すれば、みんなに気なんて遣わせなかったのだ。

でも、だいじなことだから繰り返すが、甘えさせてくれる場があるのは、うれしいのだ。
だからそれについては、ときおり表現していきたい。


恋人とか親友とか家族ならかんたんかもしれない。
でも、「ただのお友だちグループ」でしかないとき、どうしたらよいのだろう、とおもう。
お友だちがいないから貴重で、愛が重くなっていくのを感じる。
みんなには別にもお友だちがいるんだよ、って、自分に言い聞かせて、だから私も、甘えられる場を自力で増やしていきたいなって、誰かだけに寄りかかるでも自分ひとりで立ちすぎるでもなく、いろんなひとにすこしずつ支えてもらえたらよいのかなと、やっと、そんな、当たり前の生き方に気がついた次第です。


それにしても今日の連絡はほんとに甘えだったかも、ごめん、と心のなかでたくさん謝る……(なら連絡するな、とほんとに思う)