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ロンリーナイト

年齢イコール彼氏いない暦な腐女子のひとりごと

眠いというか、瞼が重い


これはいったい、なんなのだろう。

 

わたしはもともとロングスリーパーぎみで、中高のころは12時間は寝ないと不調となり、ぼんやりとしてしまうタチだった。
社会人になってからはそんなに寝れる時間が取れるわけでもないから、睡眠をキープするだけでも難しいのだけど、それでもなんとか6時間ぐらいは眠れるように気をつけている。

ロングスリーパー「ぎみ」という曖昧な表現なのには理由がある。

不眠症「ぎみ」でもあるのだ。

寝つきが悪いし、朝、いつまでも起きられない。
つまり、「睡眠時間をおおく取らねばならない人種」ではなく、「睡眠の質が悪いから、じりじりゆっくり、たくさん寝なければならない人種」という可能性もあるのだ。
いったいどちらなのか、それとも、そのどちらでもないのか。
いろいろ調べてみても、どちらにも当てはまる部分、当てはまらない部分があって、いまいちピンと来ない。

このごろはとみに寝つきが悪く、ついでに朝早くに目が覚めてしまうことが続いていたから、わたしのなかでは「ロングスリーパー説」は下火で、「不眠症説」が有力視されていた。
ゆえにわたしは運動の機会を増やし、朝シャンから夜の入浴に切り替え、アロマオイルの導入、部屋の換気など、思いつくかぎりの熟睡のプランを試してきた。

同時に、導入したものがある。

快眠サイクルというアプリだ。

play.google.com

このアプリは、自分の睡眠における熟睡ぐあいをグラフにしてくれるものだ。

4月の末から使い始めて、おおむね3週間。
その信憑性はともかく、これを導入してから、とにかく寝ることが楽しくなった

このアプリは目覚ましが入っていることもあって、基本、朝起きたら一番に目にするのが、このアプリの画面となる。
目覚ましを止めると、そこにはひとばんじゅうの自分の眠りのリズムが表示される。
このグラフは個人的には参考程度、と思っているのだけれど(明らかにここ起きてた…みたいな時間も寝てることにされたり、が、結構ある。逆に、ここ寝てたのになんでかグラフが動いているな…もある。それが「睡眠の質が悪い」状態なのかもしれない)それを見ていくのが楽しい。
過去のデータも見られるから、昨日、先週と比較することもできる。

 

さて話を本題に戻すと。

このごろは「不眠症」ではないかと疑ってきた私だったが、実はやっぱり「ロングスリーパー」なのでは?と疑い始めたのは、このアプリのおかげでもある。

アプリで逐一己の睡眠サイクルを見ると、おおむね床についた時間のトータルこそ7時間、8時間ぐらいあるのだが、そのうち眠れている状態は平均して4時間、5時間ぐらいなことが多かった。
これは「睡眠の質が悪い」状態だと思う。(たぶん…)
やはり不眠症がちなのかな、と考えていたのだが、まとまったグラフを順に見ていて気付いたことがあった。

どうも3日に1度は深々と熟睡できる日があるのだ。
そういったときは、平均して7時間ぐらいは眠れている。ように見える。

ふかく眠れたその朝、毎日これぐらい熟睡したいものだな~と思いながら通勤、出社したのだけれど、様子がおかしい。
眠りが浅い日よりも、あきらかに調子が悪いのだ
寝すぎなのか?とも思ったが、どうも違う。
あくまで「眠りが浅い日に比べれば不調」であり、その「眠りが浅い日」というのもたいてい不調なのだ。
不調な日よりもより不調、というべきその状態は、寝すぎでぼんやりしているのとも、ちょっと違う。
明らかに睡眠時間が足りていなくて、脳がぼーっとしてしまい、なんの仕事も手につかなければ、考えねばならないことも考えられなくなってしまう。

これこそが「眠いというか、瞼が重い」という異常ステータスである。

まあ、それは、いま現在のことでもあるのだけれど。

パソコンの画面を見続けることができず、仕事に支障をきたしまくっている。
いまこれを打っている最中、毎秒ずーーーっとまばたきをしていれば多少連続して画面を見続けられることに気がついたのだが、それでも視界は遮られるし、エネルギーや意識も使うので、けっこう効率が悪い。

思えば、たっぷり熟睡したはずの今日の朝でも、寝起きの感想は“よく寝た”ではなく“もっともっと寝たい!”という欲求だった。

というところから、やっぱりロングスリーパーなのか…?という疑いが顔をもたげている。

単純に疲れているのかもしれないし、特に四六時中パソコンを見ている必要のある仕事だから、目のダメージは相当だと思う。
もしかしたら、ごくふつうに、そういった目のまわりの話かもしれない…。

しかし、眼科にかかってもらった目薬を使って、毎日マッサージもして、ホットアイマスクをして、ブルーベリーのサプリを欠かさず飲んでいてこれとは…つらい。
今日から目の体操もやっていこうかな…。
あまり目を伏せていたりするとサボっているようにみられるので(パソコンと向き合っていないとサボりとみなされがち…)それはなかなか難しいのだけれど、人目を盗んでそれもやっていきたいところ。

転職したいっていう話


久しぶりに。
思考整理のお時間です。

すぐにでも転職したい、してやろう、と考えていたのだけれど、結局それは中断。
理由としてはさまざまあるけれど、やはり一番大きいのは「収入が途絶えると困るから」。
やりたいこと、やらなければいけないことは多いし、それでなくたって生活するには色々用入りなわけで、ここで無職となってしまっては大変困る。

それに、出来たら「転職するにあたっての準備」をしてからのほうがいいな、と当たり前のことをふつうに思った。
例えばだけど、今の私はまだどんな業種の、どんな雰囲気の社に就きたいかというビジョンが曖昧だったりする。
一応、あるにはあるのだけど、それが正しいかどうか、そこに飛び込んで後悔しないかが、わからない。

…これまでの人生も、こうやって熟考しすぎて期を損じまくっているところがあるので、本当はちゃっちゃか辞めるべきなのでは、とはいまだに思うし、そこもまた悩みなんだけれど。

それでいて、そこの悩みにリソースを割いてしまい、本来の悩みが滞るという魔のパターンも起きているな、と自覚はあるのだけど。
なかなかどうして、うまくいかず。

本来はGWにそのへん、じっくりたっぷり悩みたかったのだけれど、潤沢に時間がある上に充分リフレッシュしてしまったから、休み中は「ま!いいや!なんとかなるなる!」と思っていたし、なんなら「仕事のやる気が出てきたぞ~!」とも思っていた。

しかし蓋を開けてみたらば、頭はくらくらするわ、眩暈はひどいわ、なんだかおなかも痛いわ、社の空気を吸うだけで今にもぶっ倒れそうなぐらいに具合が悪い。
これは精神的なものなのか、それとも昨夜久々にファーストフードを食らって胃が仰天しているのか、休み中と違って睡眠時間が短いからなのか、いったいどれが原因に当たるのか、よくわからないが、もしかすると“五月病”というヤツかもしれない。

五月病の脳味噌で考える限りは「こんなにツライ思いをするぐらいなら、いますぐ会社は辞めるべき!」「ツライ思いを消費するのに毎日いっしょうけんめいすぎて、まるで前向きに考えられない!未来がない!」としか思えない。


どっちがいいのだろう。
辞めてしまって、退路をなくしたほうが、前進出来るだろうか。
それとも果たして、このまま収入だけは得続けたほうがいいのだろうか。

最近やっと気がついたのだが、どっちにしろ精神衛生はまったくよろしくない。
寝ているだけで月100万くれるような仕事がしたいと常々思うが、どうもそんな仕事はなさそうなのである。
人生はつらい。


はあ~~~~~~あ。

 

 

知らない景色を見てみたい

と、痛烈に思う日々が続いており、いかにこのごろの生活が会社と自宅の往復で終わっているのかを実感する。

 

いちおう本屋に寄ったり、外食をしてみたり、映画を眺めたり、したんだけれど、たぶんそういうことじゃない。
わたしが求める「知らない景色」とは、もっと未知なるものだ。

わたしの勤める会社は都内のはずれのへんてこりんなところにあって、まあ、でも、それなりに便もいいほうで、その気になれば渋谷新宿池袋あたりにくりだすことはむずかしくない。
でも、家の方向とは真逆のそこに、仕事おわりにいっちょ行こうか、とはあんまり思えない。
帰るの遅くなるとねむたくなるし。お金、ないし。ていうかそれが一番デカイ。お金がない。
家とは真逆の方向へいくには、運賃がかかる。
しかも、わたし、定期とか持っていないから、そこから自宅に戻るにもやっぱり運賃がけっこうかかる。
そうのを考えてしまうと、もうどこにも行かんで、電車5分、徒歩20分の会社と自宅の往復を選んでしまう。

行ったことはあるけどあまり知らなくて、学生時代にとおっておきたかったな、という街がある。
吉祥寺だ。
わたしは人生をほとんど山手線だけで終えているので、それいがいの路線の乗り方とか、駅とか、なんだかよくわからない。
吉祥寺という駅へいくには、どこのなに線に乗るべきかもわからなくて、それはほとんど恐怖にちかい。
知らないことはこわいし、それでいて恥であり、さらけ出すことがむずかしい。
だから、「吉祥寺へいこう」などと思うことはなく、見たいライブなどのおりに仕方がなく降りたことが数回ある程度だった。


ただ、「吉祥寺へいきたい」と思うことが、たまにある。

 

いまもそうだ。
たぶん吉祥寺にいったからといってなにがあるわけでもなく、ちょっと心惹かれるあれやこれや、わたしの生活圏にはないそれやこれやが落ちているばかりで、きっと楽しみ方をしらない、世界をしらない、どこになにがあるかがわからない、そして調べるのも億劫なわたしに100パーセント楽しめるかといったら、そうじゃないと思う。
ぶっちゃけていうとべつに吉祥寺じゃなくて、下北沢でもよければ巣鴨でもいい、見知らぬ、わたしの生活圏(ちなみに品川から横浜あたりまで)にない空気に触れられたら、それはきっと、なんでもいいのだ。

あと、ふしぎなのは、「誰かと一緒じゃいやだなあ」と思うことで、ひとりで知らない街をうろうろしてみたいのだった。
未知なるものはおそろしい。
ひとりで知らない街を歩くなんて、想像するだけで背筋がふるえるほど寒気がするのだけれど、そういうワクワクと紙一重のゾクゾクを摂取したくて、たまらない。

 

やりゃあいいじゃん、と書いていても思うのだけれど、なんにせよ運賃すらケチる人間には冒険の権利すら与えられないので、わたしは今日もひとり、あまり知らない土地に思いを馳せるのだ。

note

 

note。

まあ、有名といいますか、認知度は高いサイトのひとつかと思います。
わたしはきほんツイッターを中心にネットを過ごしており、おおむねインターネット上のサイトというものは「ツイッターでリンク踏んだら連れて行かれた場所」しか知らんので、はじめはこのHatenaも、そしてnoteも、「ああ、なんかそういや見たことあるわ。ツイッターで」ぐらいの感覚です。
なので果たして一般的ネットユーザーからどれほどの知名度を誇るのかっていうのはよく存じないのですが、ツイッター廃人的には、「たまにリンク踏んだら連れて行かれるところ」というイメージ。

そんなnote、先日不意にツイッターでリンクを踏みましたらやはり連れて行かれまして、その記事が大変おもしろかったんですね。
で、そういえばこのサービスってなんなんじゃろ?よくわからんが、こういう文字いっぱいのやつはおおむねHateanかな?と思ったら、note、とあったんです。

ほう。note。そういえばなんか、見たことがある気がしなくもない。

そこから興味を持ちましてnoteのなかをあっちこっち。
しかしまあ、noteってなんだか掴みづらいんですよね。
すぐさま文章や漫画、コラムは目にできるし、コンテンツの傍受はラクなんですけれど、そのサービスの全容がいまいちわからないといいますか。

ちなみに、わたしがはじめにnoteで目にした記事というのが、こちら。

noteがいかほどの荒野であるかというのをハードに綴ったメキシカンな記事である。
これを読みながら、いったいnoteとはどんなおそろしき場所なのか…と興味本位でトップページへ行き、無料登録をし、ネット暦1X年、もはやネット歩き方なんてわからないわけがなかろうと堂々闊歩をしたのですが、まあ、よくわからんのですがこれは。

 

よくわからんというのは先述のとおりのサービスの全容のことであり、「記事に値段がつけられる」とかそういうのはよおくわかるのです。
わかるのですけれど、従来の同一サービスとはなんだか雰囲気が異なる。
なんといいましょうか、公立のそのへんにありふれた高校に通っていた女の子が両親の海外出張にともない山奥の全寮制女子校に放り込まれてしまったときのような、確かにここは日本であり学園である、けれど作法が、礼儀が、ルールがいまいち透けて見えて来ないのだという、そういう漠然とした不安があります。

いや、自分でもちょっとなに言ってんだかわからないんですけど。

もしかしたら、おのれの勘があまりに悪すぎるだけなのかもしれない。

ただ、こんな漠然とした気持ちになることなんかそうそうあることではなくって、それもネットの海のなかで!もはやネットなんて「俺の庭」ぐらいのつもりでおりましたので、久々にひどく新鮮な気持ちです。

これはKindle Unlimitedに出会ったときにも似ている。
急に人生がすこし楽しくなったというか、視野が広がったというか、そんな気分です。まあ、ゆうても見てる場所は結局ネットの海なんですけどね。

語彙力の低下を嘆く

私がインターネットをはじめたのはもう15年ほど昔の話であり、同時にそれははじめて自分の「サイト」を開設した時期でもある。


当時は私は小学三年生ぐらいのちんちくりん、インターネットはギリギリモデムをピーガー言わせていた時期は過ぎていたように思うけれど、まだ一般的ではなかった。
我が家は父の仕事柄、かなりお高かったにも関わらずパソコンがリビングに置かれていた。
オタク気質まるだしの小学生らしく、将来は漫画家になりたいと訴える小学三年生の私にいきなりイラストレーターとフォトショップを与えこれで絵を描きなさいとぬかした父なので、サイトを立ち上げると言ってもまったく反対せず、むしろやさしい目でみてくれていた。

小学生の当時に立ち上げたのは“赤ずきんチャチャ”だったかのファンサイトで、ファンサイトといってもなにがあるわけでもなく、「わたしは小学三年生ですv」みたいなプロフィールページと、動物のアイコンが選択できる掲示板と、他の方のファンサイトへのリンクくらいのもんだったが、それでも「自分のサイト」はうれしかった。

時は流れ中学生になっても、私はまだ「サイト」を持っていた。
だが、そこまでには幾度もサイトを作り、作っては消し、むだに移転をしてみたり、サイト上にヘタクソな絵を載せることを覚えてしまったりと、あらゆる迷走を繰り返していた。
しかも、小学校高学年のときウッカリBL、つまりはボーイズラブの沼へと転げ落ちたもんだから、サイトの中身は大変なことになっている。
もはや父に教えられるようなものでもなく、私は父から譲り受けたノートパソコンでこっそりとサイトを更新していた。

メインコンテンツは「自作小説」であった。

なぜ小説なのかというと、まずペンタブを持たないちんちくりんにイラストの公開は難易度が高すぎた。
漫画なんて、もっとむずかしい。コマを割って台詞を書き、人物を動かす必要がある。無理だ。
それに比べ小説は文字を書くだけでいい、なんて楽なのだろう。
加えていうと、当時の私は大好きで通いつめている憧れのサイトがあり、そこが小説サイトだったから、すぐさま影響されて小説を書くようになった。

その趣味は高校生になっても続いた。
が、その乱文がひとめに触れることは減っていった。
身内向けの小さなサイトに規模を縮小し、ユーザー名やパスワードで入室を制限しはじめたからだ。
理由は単純、ほんとうに「内輪向け」だったからに過ぎず、その頃には広大になりつつあったネットの海に泳がせるにははばかられる内容だったからだ。

その身内だけの世界で遊んでいた期間が、だいたい6年ほどあった。

そうして遊んでいるうち、いつしか私は、「外へ発信する力」というものを失っていた。

もともと公開していたサイトだって、せいぜいウェブリング(!)に登録していた程度にすぎないのだけれど、それでも赤の他人が見てくれることも多かった。
それにくらべて、高校生からは延々知り合いたちとだけツルんで遊んでいたのである。
人目を失うと、人は向上力を忘れる。
否、忘れないようなすばらしい人も居るだろうが、すくなくとも私は忘れてしまった。

トドメはSNSの普及、それも「ツイッター」の存在だった。
140字で手軽に言いたいことを言い、思ったことを発信できるツールは、私の脳味噌から言語能力をまるっと失わせた。
どうして言語能力が消えてしまったのか、それは今も考えているのだけれど、理由はイマイチわからない。
ただ、他人の言葉をつい真似てみたり、パズった流行りの語句を繰り返すだけになってしまったり、そういった悪い一面はかぎりなくあったと思う。

とはいえ、別に語彙力がなくなろうが、べつに日本語がまったく話せないわけではない。
社会人としてのいっぱしに見えるような言語は失っちゃいないし、ことばとは常に変化していくものという考えもあるし、最悪五十音さえ忘れなければどうってことはないはずなのだ。

 

ただ、私はオタクなのである。
それも、サイトで自作の小説を載っけていたような、創作がしたいタイプのオタクなのである。

さいきん、久々に小説を書こうとメモ帳を広げてみたのだけれど、まー、もう、まったく言葉が出てこない!

…というのは今知ったことではなく、実は5年前ぐらいからたびたび繰り返してきたことだ。
「そろそろ、あのころみたいに小説を書いてみよっかな」→「書けなくなってる…言葉が出てこない…」→「無理だ、やめよう」からの半年から一年後に「また書いてみようかな…」の繰り返し。

これにいよいようんざりしたので、小説でなくともいいからなにか書いてみよう、というのがこのブログだったりもする。
そして、書いてみていて改めて思う、語彙力の低下。
こんな何が言いたいのかぼやけきったファジーな文章を書きたいわけではないのに、いつしか記事は輪郭を失い、もやもやとしていく。
目標が定まっておらず、目先の浮かんだ言葉ばかりを羅列していく、迷子のような心地。
なんだこれは。こんなことがしたいわけではないのだ。

毎回ブログのオチのほうでこんなことを言っているあたり、まるで進化がみられない。

語彙力の低下はもちろんのこと、発想力や計画力の低下もいちじるしいのだな、と思う。
書き始めてから考えている部分があまりに大きすぎるのだろう。
これはツイッターで140字の文面を連投しているときもそうであり、ひとつめの140字はまだ明確な意思を持っていないことが多々ある。
それから3ツイート、4ツイートぐらいしてみて、やっと、自分がなにを言いたくってツイートをしはじめたのかに気がついたりする。
その「なにがいいたいのか」にあらかじめ焦点を絞っておくべきなのだな、と、小説の初歩の初歩みたいなことを今更言い出す自分よ、大丈夫か?

 

まあ、大丈夫じゃなかろうが死にはしない。職も失わないし、家もある。これから覚えるからセーフ。うんうん。

自分はそこまでブスじゃない

と思って生きてきたこの25年間。

 

いや、ブスかブスじゃないかでいえば、ブスなんですよ。
佐々木希ハリセンボン春菜だったら断然後者に似ているし、そらもう、そうですよ。

でも、そんなこと言い出したら世の中のほとんどって大概ブスじゃありませんか?
アジアン隅田さんとかブスキャラですけれど、あんなオバチャンそんじょそこらにうようよ居るし、仮に私が今から吉本に入ったらぜったいブスいじりされると思います。
でも、同じように、「この人いまから吉本入ったら絶対ブスキャラだな」って人たちだって彼氏がいて、結婚していたりもする。
だから「ある程度のブスなんて普通」で、そんじょそこらに平気でゴロゴロしているものだと思います。

私は、自分をその「ある程度普通レベルのブス」だと思って生きてきました。


でも、先日の旅行写真を見ると、ま~~~~~~~~結構なブスなんですよね

ちょっと愕然とするぐらいブスで。
確かに、そのとき風邪気味だったし、だから常にマスクをしていることを考慮して、メイクも薄めだったし。
美容室にも行けてなくて、髪の毛のセットとか、あんまり気に入っている感じじゃないんですけど、それにしたって!ブス!輪郭とかぐっじゃぐじゃ!ブス!!

なんで25年間もこんなに自分がブスだって気がつかなかったんだろうと落ち込むぐらいの仕上がりでした。

で。己が結構なブスだと気がつくまで時間がかかった理由を考えてみたんですが。

普段は自分のことを鏡で見るときって無意識にキメ顔しちゃうもんだと思うので、まずそれがひとつ。
鏡で見るとイケてるのに写真を撮ったら地獄で、その地獄なほうが本来の自分というどうしようもなさは、絶世の美男美女以外は味わったことがある感覚ではないかと思います。

それからもうひとつ。
それは自分が「自撮り」するようなタイプではないこと。
それから、「旅行に行ったとき自分たちの写真を撮るタイプの友達が少なかった」こと。

今回旅行に行ったメンツ、この一年で仲良くなった子達なんですよ。
その子たちは結構感覚が若くって、自撮りもするし、集合写真とかもいっぱい撮るし。
まあそれが普通なんですけれど、高校時代からの友人たちと旅行に行ったりしても、おおむね私たち、風景とご飯の写真しか撮らないんですよね。
なんか自分たちを映すのって恥ずかしいし、そういうことする仲間じゃなかったのに、急に旅行のときだけ自分たちで写真に映るのってちょっと気恥ずかしい。

だからあんまり「自分の写真」というものを見ることがなかったんですが(プリクラとかは撮ってきたけど、あんなものオタクのAKB総選挙予想よりアテにならない)
それが自分の客観的な容姿を知らない一因になったのだなあ…と。

もっとも、別に美女だと思っていたわけじゃないのでブスだろうと別に構わんのですが、ちょっと「マジか~~~!!!!」という気持ちになりました。
もっと、こう、オタクグッズじゃなくて、コスメも買わないとな…。
年端も行かぬアイドルを応援するためCDをいっぱい買ってる場合じゃないんだな…。

ちなみに記事中で「ブス」という単語を乱用しましたけれど、あんまり「ブス」って悪口のつもりもなくって、というか「ブス」ってちょっとかわいくないですか?
意味わかんないと思いますけど、ひらがなで「ぶす」と書いたら伝わりやすいかもしれない。
なんていうんでしょう。個人的には「不細工」より「ブス」のほうが愛情がある、ような気がしています。
わかりやすくいうと、フットボールアワーの後藤さんが岩尾さんに「ブス!」って言ってると、「ああ、相方だなぁ…」と思ってなんか好きって思う、そんな感じのことです…うーん。うまくいえないのですが。

雑な家計簿を一ヶ月つけてみて


三月から家計簿をつけはじめました。

 

といっても、ガチの家計簿は何度か挑戦してあえなく失敗。

普通のノートに日付と使った金額を記載するやり方もやってみたんですが、失敗。
あとアプリの家計簿も試したんですが、いちいち項目とか選択するのがダルすぎて失敗。

というわけで、三月からの家計簿は、

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こういう普通のスケジュール帳に、簡単に、その日使った金額だけを書いていくやり方です。


これはむつかしいことなんてまるでないし、そもそも一日の出費は大体おんなじぐらい。
なにもない日は前の日とおなじ額を書くだけで済むので楽です。
三日置きぐらいに書けばもっと正確に「いつ、いくら使ったか」を覚えていて書き込めるのですが、めんどくさいと一週間まとめておおまかな記載となります…。
まあ大目に見積もっておいたって困るこたぁないでしょ!実際使ってないんだからその分プールされるだけ!イエー!ぐらいの感覚でどんぶり勘定です。

どうでもいいですがこんな私はO型。

 

で。

四月になったということで、そんなどんぶり勘定家計簿も一ヶ月。
前半は細やかに「本代○円 飲み代×円」とか書いていたのが、後半は「なんか1000円ぐらい」という雑すぎる記載になりましたが、それでも一ヶ月は一ヶ月。

そこで出たおおまかな出費に、家賃と、だいたいの光熱費と、クレカ請求も合算。
で、導き出された金額が……

 

だいたい手取りと一緒。

 

赤字でも黒字でもなくほんとにピッタリ。

まあ大まかに見積もっての計算ですし、買っておいて忘れて記載してない出費なんかもありそうなのでほんとうにおおまかでしかないのですが。

赤字ではないので喜ぶべきことかもしれないのですが、手放しには喜べない理由がひとつ。
というのも現在、絶賛節約中なんです。
なんでこんな家計簿をやっているかっていうとやはり「お金が必要だから」ですし。


もともと私の労働環境、残業や休日出勤もなく、仕事内容もかなり楽なんですが、そのぶんめちゃくちゃお給料が悪いんです。
それでいてオタク、それもアイドルオタクというのはかなりお金が必要で…。
今後、いろいろお金が必要になる案件が重なったので、ここいらでせめて月2万くらいずつは浮かせたかったのですが…。

そうか。ピッタリか…。


この家計簿、毎週ごとにどれぐらい出費したかも計算してみているのですが、当たり前ながら遊びに出た週はすっごくお金がかかっています
で、お金を使わないようにと引き篭もることを選んだ日は、当然ですが節約になってる

“お金が必要な案件”が終わるまでの数ヶ月間、遊びに行かずに引き篭もる必要があるな…と痛感です。

でも、だが、待ってほしい、引き篭もって節約なんかした日には彼氏というものもできないのでは?
「のでは?」というか、ほぼ確実に出来ませんよね、そんなもの。


お金はほしい。
ほしいというか、捻出しなければならない。

しかし、彼氏だってほしい。


どうしたものか…このごろ、こんな悩みが尽きません。
ああ、ほしいものが多すぎる……。


キャバクラとかガールズバーでバイトしている子には副業をおすすめされますし、そのへんもぶっちゃけ気になってはいますが、

  • 会社に良い顔はされないだろうし(副業禁止ではない…はず)
  • オッサンにいい顔するの嫌だし
  • 体力ないから夜まで働くのしんどいし
  • 大体、地味でブスで彼氏居たことがない喪女にそんなことが出来るわけがないし
  • できるならとっくに彼氏いるし

…というわけで尻込みしています。

うーん。
会社にバレさえしなければ、必要なお金ぶんぐらいはやってみてもいいかな、なんて思ったりもするんですけれどね…。

その“会社にばれない”が怖くて悩みます。
まあ、転職したいなあとか、でも会社が辞めさせてくれなさそうだな~みたいな悩みもあるので、それでクビになるなら本望っちゃ本望なんですけどね…。

 

ああ、いつも言いたいことを言いたいままに書いてしっちゃかめっちゃかですが。

つまり、

  • マンスリー式スケジュール帳に雑に出費を書くやり方、ものぐささんにはかなりオススメ
  • やってみるとどんだけ浪費しているかがよ~くわかる
  • でも節約に注視すると交友関係減ってヤバイよね
  • つーか彼氏の出来なさはほんとヤバイ遊んでたって出来ないんだもんマジヤバ

ってことが言いたい、そんなブログでありました。