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ロンリーナイト

彼氏と金がほしい26歳喪女の独り言です

とりとめのない自分語り

 

風邪を引いた。
今年三度目ぐらい。
確かに体力がなくてひ弱ではあるんだけれど、病気というのはあんまりしないほうだったので、こんなにワンシーズンで風邪ばかり引くというのはさすがにはじめてのことだ。

昨日、会社を休んだところ、あまりに休みがちなせいか、「体調管理をしっかりするように」とチクリと言われた。
いやまったくもってその通りであり、なんの反論のしようもないのだが、自分を大切にするだけの気力を損なわせたのはどっちやねん…というガッカリのほうを多く感じてしまった。
それは罪のなすりつけであり、八つ当たりであり、結局は全部自分が悪いんだろう…と思うのだけれど。
なんだかその一言が本格的なトリガーになったかのように、このごろずっと気が重たい。

しんどくてしんどくて会社に行きたくなくて。
でも、あまりに休みがちなので行くしかなくて。

何がイヤなのかもあんまり、よく、わからなくて。


さまざまな事情があって来年ぐらいまではここに居よう、4年間そうやって耐えてきたんだからあと1年ぐらいいける、それで耐えながら次へ向けて準備しよう、と思っていた。
けれど、こうなってしまうともうダメかもなあと感じる。


話は変わるけれど。
吐き出したいので、書く。

数年前にいちど、あまりに苦しいので精神科へ行ったことがある。

診察結果は「適応障害」だった。


そのときの私は、もう「うつ」って言ってもらって、それを盾に休職したいな~ぐらいの甘い気持ちだったので、その結果が不服だったのを覚えている。
今もうすこしだけ勉強して、べつにうつだったからって即座に休職ができるわけじゃないのも、そもそも「うつな気分」ぐらいなら「うつ病」とイコールではないことも学んだ。

そして昨夜、眠れぬ夜、あれこれ、いろんなことを調べて、私は改めて「適応障害」だな、と感じた。


またすこし脱線して自分語りをすると。
中学三年生のころ、不登校になったことがある。

理由は、ひとが聞いたら笑うものだと思う。
だから私は、親にも教師にも友達にもほんとうの理由はいちども言ったことがない。


白状すると、“受験”がイヤだった。
もっと細かくいえば、学校全体にはびこる“受験モード”がイヤだった。


私は、幼稚園や小学校でお受験があるような都心ではなく、みんなでなかよく並んで中学校まで進学する田舎で生きてきた。
けれど、高校からいきなり制度が「受験」になったのだ。
いや、いきなりじゃない、「受験」というものがあることぐらい小学校のころからわかってはいたんだけれど、私からみればいきなりだった。

まず、私はとにかく勉強が嫌いで、頭の悪いこどもだった。
だから、おなじように勉強が苦手なともだちといつもつるんでいた。
テストでは一夜漬けでなんとか平均点ぐらいをマークして、イヤなことからはほどほどに回避して生きてきた。
ぼやぼや部活して、ぼやぼや遊んで、ぼやぼや漫画読んで、それだけだったし、それだけで生きていたかった。

けれど、三年生の夏休みごろ、周囲の風潮はいきなり“受験モード”に突入した。

すると、今までおなじように勉強が嫌いで、あまり勉強していなかった友達たちでさえいっせいに勉強をはじめたではないか。
親や教師も当然のように塾や夏期講習をすすめてくる。
しかし、それが私には理解不能だった。
私はぼやぼや生きていたいだけなのに、理由なく勉強する意味がわからなかった。

今思えば「きちんとした高校に進学し、ひいては大学に進学し、そうしないといい会社に入れなくて苦労するから」だ。
そもそも、勉強するのってごく当たり前のことらしい。
私はそれがいまも不思議でしょうがない(理屈はわかるけど納得できない)のだけれど、とにかくそういうものである。


今でも勉強する意味をうまく理解できないぐらいなんだから、中学三年生の私は納得できるわけもなかった。
理解できなくて、勉強したくなくて、逃げ出したあれも、いま思えば「適応障害」だったのだろうな、と思う。

 

結局勉強から逃げ出して、いまや九九すらうまくいえない私だが、それでも一応正社員として就職し、東京でひとり暮らしている。


それは「成功」だと思う。
確かに彼氏はいないし、部屋汚いし、賃金少ないけど、「勉強できない元不登校」がここまでマトモになったのなら、たいしたもんだと思ってほしい。

けれど、いままた「適応障害」を発症させている。


そして、この状態が「成功」だからこそ、私はいま、逃げられないのかもしれない。

あのときは、逃げてもどうにでもなった。
でも中学生の、15歳のときの私とはもう違う。
あのときは思春期まっさかりで、人生選び放題だったけど、いま、25歳の私が職を失えば、「25歳処女ニート(ついでにソシャカス)」という地獄の肩書きの完成である。

つまりプライドを「まともな社会人」という肩書きだけで支えている状態に近い。


けれど、それを捨ててしまいたい、捨ててもいい、捨てさせてくれ!と懇願したい状況であるのも確かだ。

 


私のダメだなあと思うところは、こういうことを相談する相手が居ないところ。
いや、頼ったらみんな話を聞いてくれると思う。
もしかしたら、私に甘えてほしいと思っている友達も居てくれるかもしれない。
だけど、私はそれが苦痛で、いつだってプライドが高くて、澄ました顔でひとり立っていないとどうしようもなく、しんどい。

 


そんな自分語りでした。
すこしなにかがつかめた気はする。


掴むだけ掴んで満足して、また妥協と現実逃避の日々になってしまわないようにしたい。