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ロンリーナイト

彼氏と金がほしい26歳喪女の独り言です

人の話を聞くことができない

クズきわまりないタイトルである。

しかし読んで字のごとくだ。

わたしは、人の話を聞くことができない。


昔からそうなのだが、わたしは1聞いただけで100を理解できるところがある(と、自分では思っている)。

それはもしかすると利点なのかもしれないが、現状、そうでないと感じることが多い。

1聞いて、100理解できる(ような気がする)。

そして、まだ1しか受け取っていないにも関わらず、200ほどの言いたいことがすぐさまポンと浮かんでしまうのだ。


いちおう分別あるおとなとして、まだ1しか聞いていないのに200を言い返すわけにもいかない。

ぐっとガマンするのだが、しかし1聞いて200ということは、10聞けば2000言いたいことがあることになる。

 

200ぐらいならガマンできる。

しかし、2000も言いたいことがあると、もう言葉のダムは止められない。

そうしてわたしは、人の話を聞くことを早々に放棄して早々と自分の話にもっていってしまう。

これは、アメトークの名作回「どうした!?品川」でいうところの、「トークの横取り」とほとんど変わらない、と自分で感じている。

そう、わたしはなにを隠そう「おしゃべりクソ野郎」なのである。

女なので、もしかしたら「おしゃべりクソ女子」、女子ってトシでもないから「おしゃべりクソ喪女」かもしれない(いずれにせよ、語呂は悪い)

 

そんなだから、気付くと友達がなにかを言いかけたのに話を聞かず、自分のことをぺらぺらとおしゃべりしてしまう。

友達たちはみんなやさしいので気にしているそぶりなんてないのだが、どう考えても問題だ。

猛反省し、改めようと思い、「人の話を聞く方法」などといった本をいくつも買うのだが、そこでの教えなど付け焼き刃にすぎない。

それでも、友達に会って一時間、二時間ぐらいは制御可能だ。
しかし場が盛り上がるにつれてどんどん楽しくなってしまい、ついついトーク強盗をしてしまう。

なんとかしたいものだ。

 

深刻な問題であるが、友達たち相手ならば、わたしが嫌われるだけにすぎないので、まあよいのだ。よかないが。

問題は仕事である。

 

相性の悪いことに、わたしの上司もかなりのおしゃべり野郎で、1から100どころか、ほうっておけば1から10000ぐらいまではかるぅく喋る。

いちおうは仕事に関わる教育的な話、技術的な話なのだが、「もう100回は聞いている」ということまで喋るので、いちいち聞いていると身体が持たない。

耳タコなんていうレベルではなく、冗談抜きに精神を病みかけた。

そんな話題はてきとうに聞き流しているので実害はさほどないのだが(興味がないのが伝わったのか、このごろはそんなに話しかけて来ないし)問題は「これが1回目の話」だった場合だ。

 

まずはじめに、上司がベラベラと喋り続けているなかから「はじめての話」をきちんと見つけ出すこともむずかしい。

入り口はいつもどおりなのに、気付いたら知らない情報を解説していて、「待て待て待て」となることもしばしばだ。

そして、そんな「知らない情報」も、1聞けばうっすら100まで理解できる。

それにも関わらず上司は10000まで喋る人間なので、はたしてどこまで集中して耳を傾けてよいかがわからないのだ。

全部聞けという話だが、そうしていては気が狂う。

それでもガマンして聞いてはいたのだが、そんな生活を4年もしていたのでこのごろは冗談抜きで精神を病み、もう上司の顔も見たくない、ともすれば殴りかねない境地まできているので、取捨選択はひじょうに重大な問題だ。

 

平素はおしゃべりなわたしだが、上司に向けてペラペラおしゃべりする趣味はない。

というか、もともと職場で無駄口をたたくのはきらいだ。

マク○ナル○でバイトしたことがあるのだが、同僚や社員たちがプライベートな話をぺちゃくちゃしながら働いているのが理解できず、すぐさまやめてしまったこともある。

そんな身なので、上司の話に対してもいいたいことはゴマンとあるのだが、つい口をつぐんでしまうのも、けっこう居心地がわるい。

(そうでなくとも20歳も年上の上司と常から雑談しまくれるような精神はもちあわせていない。基本、オジサンは嫌いなのだ)

そういうストレスもあって、つい友達のまえにいくと喋りすぎてしまうのかもな、とかんじる。

 

あとはSNS、つまりツイッターでのつぶやき量も、わたしはえげつなく多い。

ふつうのひとは友達相手に発散したり、家族や恋人と会話があるだろうからそれなりにおさえられるのだろうが、わたしは友達もすくないし、家族は遠方、恋人などいるわけがなく、言いたいことを言える場といえばツイッターぐらいのもの。

たまに友達を運よくつかまえられてもトーク泥棒をしてしまうわけだし、自分が上司からされている「延々言葉を浴びる」を体験させてしまうわけで、それが申し訳ないから誘いづらい部分もある。

ツイッターだとあんなもんいくらでも読み流せるだろうから、「見ないでくれ」と言いながらいくらでも垂れ流せてしまう。

(「見ないでくれ」というぐらいなんだからフォロワー0の鍵垢を取ればいいと思い、実践したが、まったくだめだった。どうも「アピールしたい相手」がいるから言いたいことが浮かぶらしい。そして、それは「相手に見えるところ」で言えれば気が済むので、実際見ているかどうかはあまり問題ではない…という、めんどくさい心の構造だ)

 

かくして、わたしは永久にツイッターでつぶやきつづける暇人になってしまっている。

 

 

アウトプットもたいせつだ。

言わなければ気がすまない気質なのは昔からだから(母親になんでも報告するこどもだった)改めようもないのだけど、その手段を選ばなければならない、と思う。

 

そこを改善すれば、すこしでも人の話を聞けるようになってくるのではないか…と期待している。

 

とりあえず植物か、ぬいぐるみ相手に喋ればいいのかなあ。

ひとりでラジオでもやってるふうにひとりごとを言い続ける、というのもたのしそうだな、と思っている(むなしい…)

とりとめのない話

普段は自分から誰かに連絡することができない。

忙しいかな、とか、
私なんてどうでもいいよな困るよな、とか、
こんな連絡してリアクションに気を遣わせるかも、とか、

いろいろ考えてしまうと、連絡を引っ込めてしまう。

それはみんなが大切なひとだからで、不快にさせたくないし、こんな連絡はただの甘えだって、そう思ってしまっているからだと思う。


甘えられる場があるのは、うれしい。
今までにはそんな場、なかった。
うまれてはじめてのやさしい場所で、だから、どうしてよいかがわからないのだ。

急に連絡をしては迷惑だろうか。
ご飯行こうとかでもない、わりとどうでもよい雑談。
みんな、LINEでよくやってるかな、やってるよね、どうだろう(LINEがにがてなのと友達がいないのとで塩梅がわからない)


色々悩んで、LINEしてみて、みんなやっばり優しく返してくれる。
それでも気を遣わせてないかなって、すごくすごく心配で、甘えたのは自分なのに、甘えたことを後悔してしまう。

ここで連絡したぐらいで気を遣うってことは、私は誰かからこんな連絡が来たら迷惑で、でも気を遣って無難に還すのかな、なんて、そんな自分がまたいやで、とても悩み、落ち込む。
連絡する前に控えたらよかった、わたしが、甘えたい気持ちを我慢すれば、みんなに気なんて遣わせなかったのだ。

でも、だいじなことだから繰り返すが、甘えさせてくれる場があるのは、うれしいのだ。
だからそれについては、ときおり表現していきたい。


恋人とか親友とか家族ならかんたんかもしれない。
でも、「ただのお友だちグループ」でしかないとき、どうしたらよいのだろう、とおもう。
お友だちがいないから貴重で、愛が重くなっていくのを感じる。
みんなには別にもお友だちがいるんだよ、って、自分に言い聞かせて、だから私も、甘えられる場を自力で増やしていきたいなって、誰かだけに寄りかかるでも自分ひとりで立ちすぎるでもなく、いろんなひとにすこしずつ支えてもらえたらよいのかなと、やっと、そんな、当たり前の生き方に気がついた次第です。


それにしても今日の連絡はほんとに甘えだったかも、ごめん、と心のなかでたくさん謝る……(なら連絡するな、とほんとに思う)

 

せんじつ、会社を辞めたいが辞め辛い(意訳)という旨のエントリを書いたが、じっさい、辞め辛い理由のいちばんは「この先の未来がわからない」ことではないか、と思う。

 

私はそもそもぐうたらな人間で、出来うることならば、仕事もせず、食事もとらず、永久に眠るだけの日々を過ごしたいと思っている。
そんな人間なので、もちろん仕事がきらいだ。外に出たくない。

だから、会社を辞めたら、しばらくはゆっくり休む時間を取ろうと思っている。
この数年、引きこもりたい自分の気持ちに鞭打って働いてきたので、心が根を上げている。
すこしリフレッシュできればなと、思うのだ。

 

しかしそれを許さないのは己の内面の現実的な部分である。

 

ぐうたらな人間だが、そのわりにわたしは現実主義者だ。
空想というか、妄想というか、毎日のようにアイドルになってステージで歌い踊る想像とかをして生きているが、それが現実に起こらないことは十二分に存じ上げている。
だって自分はかわいくない。
運動神経もよくないし、なによりもうそこそこのイイトシである。
もちろん、そればかりが理由のすべてでもないけれど、「毎日のように想像してしまう」ものでも、理性的にきちんと否定ができるのだ。
それは、まあ、誰しもがそうだろう。

だから、今回の件についても、「ゆっくり休んでいるあいだ、お金は?」と現実的なことを考えてしまう。
そうなると、「やっぱり辞めないで勤めていたほうが身のためなのでは」とか、引き返す方向に思想が進む。


「ここからが新たな夢なんだ、やりたいことやろう」と思っても、上記のアイドルの例えのように、必ず自分がそれを否定してしまう。

 

作家にもなりたかった。でも、そんなに面白い話が思いつくわけがない。

占い師に憧れていたりもする。でも、そんなスピリチュアルなもの、どうやって身につけられるんだ。

マニキュアやネイルも好きだ。でも、わたしは手先が器用じゃないし。

ほんとうはデザイナーになりたかった。でも、賃金低そうなイメージなんだよなあ。

 

じゃあなにならいいんだ、ってなると、「今の業種」なので、そういった求人を探す。
いまより大変そうなところ。すこし条件がいいが、勤務地が遠いところ。パーフェクトな求人というものはない。
それを見ているとげんなりしてきて、夢も希望も、やっぱりなくなってしまう。
それだったら苦労して辞めて、苦労して就職する意味ってなんなんだろう、と感じる。

 

辞めてゆっくりしているうちに「やりたいこと」が見つかって、「それを否定しない心」がうまれるかもしれない。

そう願っていちおうは退職を願い出てみるつもりだ。

もっと門出だとか、そういった気分になりたかったのだけれど、いまはただただ、重い荷をおろしたいという気持ちでしかない。

この先に幸せは、夢は、わたしの未来は、あるのだろうか。

この24時間の話

 

24時間ほどまえのわたしは、会社に居た。
仕事はしていなかった。やるべき作業がなかったのだ。
思えば入社したてのころは、そんなとき「なにかお手伝いすることはありますか?」などと声をかけて面倒を引き受けていたのだが、いつしか会社や上司に失望し、軽蔑を覚え、そうすることをしなくなっていった。

だからもう会社を辞めたい、もう辞めよう、そうこの二年ほどずっと思っていて、この頃やっと決意がかたまった。
辞めないほうがいいのではないか、という思いもいま私の胸にはおおきくあるのだけれど、愚痴を聴いてくれる友達がみんな「その会社、早く辞めたほうがいい」と心配してくれるので、その気持ちには報いなければならないと感じたのだ。

さて、わたしの仕事は17時で一区切りである。
定時は17時ではないのだが、いってみれば17時が閉店で、そこからの一時間ほどは店内の清掃など裏での仕事がある、といえばわかりやすいかもしれない。
ただ、これはあくまでモノの例えであり、現実には17時に一区切りしたあともやるべきことというのは特になかった。
そのあいだ勉強などをしてコツコツ頑張っていたのは序盤の二年間ぐらいのモンであり、今の私はそんな気力すらうしない、ひたすら「嫌いな上司のそばにいること」「嫌な会社にいること」を我慢することに体力を注いでいた。

どう考えても無駄な体力であることは一目瞭然だ。
早く辞めるべきである。
ちょうどヒマで、ということはおそらく上司も仕事がない。
17時を過ぎれば、時間も取ってもらえるだろう、さあ、言うのだ、「すこしお時間よろしいでしょうか」と。
「会社を辞めようと思います」と、きちんと言いに行くのだ、と。

そうは思ったのだけれど、17時を過ぎ、10分経っても、20分経っても、その言葉はとうとう言えなかった。

これは金曜日だけの話じゃなくて、今週一週間、ずっとそうだった。
毎日、隙を狙うのだけれど、どうしても言うことが叶わなかった。


理由はたくさんある。
嫌いな上司と二人きりで話したくないのもあるし、私から上司を呼び出したことなんて、勤めはじめてから一度もない。上司はとてもおちゃらけた人だから、真面目な会話をしたことっていうのも、ない。迷わずに相談できるような頼れるひとであれば、ハナから嫌ってなどいないし、会社を辞めようとも思わない。(これは愚痴です、すいません)
勇気を出したところで、会議室が空いているかもわからない。

それに、辞めたあとはどうするのだろう。

お金は。引っ越しは。アパートの更新、したばかりだけど。
東京に勤めたままにするのか、それとも田舎に戻るのか。
ほんとうは一か月ぐらい英気をやしなってから再就職がしたいのだけれど、人生、そんな雑な考えでだいじょうぶなのか。
再就職できたところで、その会社、いまより苦しい可能性だってごまんとあるんじゃないか。
環境が悪いように言っているけど、わたしに問題があって今こんな状態なんじゃないのか。


不安は尽きない。

そんな状態で「辞めます」と言えるほど、わたしは強くない。


しかし、もう二年ぐらいずっと辞めたい、と思っている。
朝、どうしても起きられなくて、会社に行きたくなくて、逃げるように休む頻度も増えてきてしまった。
会社にはこれでも重宝されているけれど、でも、待遇がよくなるってことはないように思う。

腹は決まっている。
でも、覚悟が足りていない。
この覚悟はきっと、毎日、会社に行って、苦しい環境に耐えているうちに、ちょっとずつ損なわれてしまっているんだと思う。


どうしたら覚悟は決まるだろうか。

 

 

そんなことを考えていたせいか、昨夜はごはんが食べられなかった。

なにをするでもなく、食器を洗うぐらいがせいいっぱいで、あとはずーっとツイッターを見ながらぼんやりとしていた。
そんなことをしているぐらいなら、まだ漫画読んだり、絵を描いたり、つまり好きなことをしているほうが英気を養えるって知っているのだけれど、もはやなにもしたくなかった。
だけど、誰かがこの世界で生きて居ることだけは感じていたくて、ずっとツイッターから離れられない。

そうして脳を使ったせいか、たっぷり眠り、今日は昼を過ぎてからやっと起きた。
昨夜はお風呂にも入れなかったので、とりあえずシャワーを浴び、洗濯機をまわした。
ここだけで自分を褒めてあげたいぐらいだが、自分に甘くあることを自分が許してくれなかった。
けれど、やっぱりどうする気もこうする気もおきなくって、ぼーっとして、ネットをうろうろしたり、ツイッターを開いたり、興味もないソシャゲをちょっとやってほっぽり出したりして、そうしてブログの存在を思い出した。

と、ここまでがこの24時間の話です。

 

さて。
ここから先はまだ自由な未来なわけだけれど、もう16時半かぁ。なにができるかなぁ。

このままぼんやりして、死んだように生きるのも、ほんとうはきらいじゃないし、むしろ大好きなんだけれど、他人の人生と比較してむなしくなってしまう。
ツイッターやインスタを見なければ、比較もできないから、そういうことは気にならなくなるのかな。
もうすこし強くなりたいな、としみじみ痛感する25の昼過ぎです。ああ、25でいられるのもあと一ヶ月だな…。

お洋服の一軍と二軍


わたしの箪笥には、一軍のお洋服と、二軍のお洋服がいる。

それどころか、たぶん、三軍ぐらいのお洋服もいる。
これはいわゆる「部屋着」に降格した衣類で、かつては外でも着歩いていたがヨレてだめになってしまったシャツやカーディガンなどがそれにあたる。


一方の一軍と二軍であるが、これはもちろん、外に着ていくためのお洋服だ。


具体的な内訳としては、
一軍:遊びに行ったり、飲みに行くときの服
二軍:ただ会社に行って帰ってくるときの服

こんなかんじ。


箪笥のなかの勢力図として、一軍の服が20%ていどなことに対し、二軍の服は80%、つまり大半を占めている。
これはいかに私が外に遊びに出ないか、会社と家を行き来するだけの生活を過ごしているかを物語っているようだ。

しかし、ふと気がついたのだけれど。

むしろ洋服がないからこそ、会社と家を行き来するだけの日々なのではないだろうか?


結構多いのが、「今日、このまま渋谷あたりに出ようかと思ったけど、今日の服ダッサイからまっすぐかーえろ」というパターン。
財布にはたいへんにやさしく、ありがたい話なのだが、毎回こんなことばっかり考えている気がする。
ごくまれに、日中、友達から「今日このあと飲みどう?」なんて話がきたときも、おおむね断らざるを得ない。
このへんは、わたしがたいていスッピンで出社している干物女であることも影響しているのだが。

とはいえ。
わたしは大変ビンボーであるので、遊びに出ることが減るのは大変よろこばしいことだ。
それでモチベが下がろうが、しかしない袖は振れない。

ただ。
最近気がついたのだけれど、仕事の能率も単純におのれの容姿に直結してくる。

というか、私は単純なので、カワイイ服やキレイな服を着ていれば、テンションが上がり、そのままウキウキで仕事ができる…ことが多い。


どんだけいい服を着ていようがわたしはわたし、ビンボーで仕事ができなくってぼんやりしている干物女(そろそろ26歳・彼氏なし暦イコール年齢・趣味は男性声優の追っかけ)なのでいきなりメキメキと仕事の能率がアップするわけではない。
しかし、トイレに寄った際、鏡にうつる自分のコーディネイトが良いと、ちょっと胸がおどる。

 

って、世の女性からみればいまさらな話なのかもしれない。
が、わたしは1万円あったら2千円で服を買い、残りの8千円は課金するタイプのソシャカスなのである。
いちおう、ちゃんとした場に出られるようなお洋服もクローゼットにはあるけれど――それが“一軍”である――たいがいはおのれを飾らない、オタクなのだ。

そんなオタクだが、ようやっとこのごろ「仕事のためにも、一軍の服しか持たないほうがいいのでは?」ということに気がついた。
と、いう話。


とはいえ、何度も重ね重ねいうが、わたしはビンボーなのだ。
そもそも「1万円あったら」という前提がまちがっている。

1万円なぞ、ない。

いや、あるが、それは生活費or貯金なのだ。


そんな状態で二軍の服を処分し、一軍の服に入れ替えることなど、とうてい不可能である。

しかし考えてみてもほしいのだが、転職するなり、副業(キャバクラとか…)するなり、結局身なりはきちんとしておかねばならないのだ。
そこにもお金がかかるが、そこにかけるお金がない。
いや、ないことはないけど…まだ貯金などを崩してまで、おのれの容姿などを整えるだけの勇気がない、というべきか。
あるいは、「それをやってしまったら投資のぶんだけ取り戻さなければならないが、そのステップアップに耐えうるだけの根性や覚悟が、まだ、ない」というのが正しいかもしれない。

いつまでもうだうだ言っていられる年齢ではないので、そろそろこの「自己投資」をはじめるべきだろうな、とは、思いつつ…。


眠いというか、瞼が重い


これはいったい、なんなのだろう。

 

わたしはもともとロングスリーパーぎみで、中高のころは12時間は寝ないと不調となり、ぼんやりとしてしまうタチだった。
社会人になってからはそんなに寝れる時間が取れるわけでもないから、睡眠をキープするだけでも難しいのだけど、それでもなんとか6時間ぐらいは眠れるように気をつけている。

ロングスリーパー「ぎみ」という曖昧な表現なのには理由がある。

不眠症「ぎみ」でもあるのだ。

寝つきが悪いし、朝、いつまでも起きられない。
つまり、「睡眠時間をおおく取らねばならない人種」ではなく、「睡眠の質が悪いから、じりじりゆっくり、たくさん寝なければならない人種」という可能性もあるのだ。
いったいどちらなのか、それとも、そのどちらでもないのか。
いろいろ調べてみても、どちらにも当てはまる部分、当てはまらない部分があって、いまいちピンと来ない。

このごろはとみに寝つきが悪く、ついでに朝早くに目が覚めてしまうことが続いていたから、わたしのなかでは「ロングスリーパー説」は下火で、「不眠症説」が有力視されていた。
ゆえにわたしは運動の機会を増やし、朝シャンから夜の入浴に切り替え、アロマオイルの導入、部屋の換気など、思いつくかぎりの熟睡のプランを試してきた。

同時に、導入したものがある。

快眠サイクルというアプリだ。

play.google.com

このアプリは、自分の睡眠における熟睡ぐあいをグラフにしてくれるものだ。

4月の末から使い始めて、おおむね3週間。
その信憑性はともかく、これを導入してから、とにかく寝ることが楽しくなった

このアプリは目覚ましが入っていることもあって、基本、朝起きたら一番に目にするのが、このアプリの画面となる。
目覚ましを止めると、そこにはひとばんじゅうの自分の眠りのリズムが表示される。
このグラフは個人的には参考程度、と思っているのだけれど(明らかにここ起きてた…みたいな時間も寝てることにされたり、が、結構ある。逆に、ここ寝てたのになんでかグラフが動いているな…もある。それが「睡眠の質が悪い」状態なのかもしれない)それを見ていくのが楽しい。
過去のデータも見られるから、昨日、先週と比較することもできる。

 

さて話を本題に戻すと。

このごろは「不眠症」ではないかと疑ってきた私だったが、実はやっぱり「ロングスリーパー」なのでは?と疑い始めたのは、このアプリのおかげでもある。

アプリで逐一己の睡眠サイクルを見ると、おおむね床についた時間のトータルこそ7時間、8時間ぐらいあるのだが、そのうち眠れている状態は平均して4時間、5時間ぐらいなことが多かった。
これは「睡眠の質が悪い」状態だと思う。(たぶん…)
やはり不眠症がちなのかな、と考えていたのだが、まとまったグラフを順に見ていて気付いたことがあった。

どうも3日に1度は深々と熟睡できる日があるのだ。
そういったときは、平均して7時間ぐらいは眠れている。ように見える。

ふかく眠れたその朝、毎日これぐらい熟睡したいものだな~と思いながら通勤、出社したのだけれど、様子がおかしい。
眠りが浅い日よりも、あきらかに調子が悪いのだ
寝すぎなのか?とも思ったが、どうも違う。
あくまで「眠りが浅い日に比べれば不調」であり、その「眠りが浅い日」というのもたいてい不調なのだ。
不調な日よりもより不調、というべきその状態は、寝すぎでぼんやりしているのとも、ちょっと違う。
明らかに睡眠時間が足りていなくて、脳がぼーっとしてしまい、なんの仕事も手につかなければ、考えねばならないことも考えられなくなってしまう。

これこそが「眠いというか、瞼が重い」という異常ステータスである。

まあ、それは、いま現在のことでもあるのだけれど。

パソコンの画面を見続けることができず、仕事に支障をきたしまくっている。
いまこれを打っている最中、毎秒ずーーーっとまばたきをしていれば多少連続して画面を見続けられることに気がついたのだが、それでも視界は遮られるし、エネルギーや意識も使うので、けっこう効率が悪い。

思えば、たっぷり熟睡したはずの今日の朝でも、寝起きの感想は“よく寝た”ではなく“もっともっと寝たい!”という欲求だった。

というところから、やっぱりロングスリーパーなのか…?という疑いが顔をもたげている。

単純に疲れているのかもしれないし、特に四六時中パソコンを見ている必要のある仕事だから、目のダメージは相当だと思う。
もしかしたら、ごくふつうに、そういった目のまわりの話かもしれない…。

しかし、眼科にかかってもらった目薬を使って、毎日マッサージもして、ホットアイマスクをして、ブルーベリーのサプリを欠かさず飲んでいてこれとは…つらい。
今日から目の体操もやっていこうかな…。
あまり目を伏せていたりするとサボっているようにみられるので(パソコンと向き合っていないとサボりとみなされがち…)それはなかなか難しいのだけれど、人目を盗んでそれもやっていきたいところ。

転職したいっていう話


久しぶりに。
思考整理のお時間です。

すぐにでも転職したい、してやろう、と考えていたのだけれど、結局それは中断。
理由としてはさまざまあるけれど、やはり一番大きいのは「収入が途絶えると困るから」。
やりたいこと、やらなければいけないことは多いし、それでなくたって生活するには色々用入りなわけで、ここで無職となってしまっては大変困る。

それに、出来たら「転職するにあたっての準備」をしてからのほうがいいな、と当たり前のことをふつうに思った。
例えばだけど、今の私はまだどんな業種の、どんな雰囲気の社に就きたいかというビジョンが曖昧だったりする。
一応、あるにはあるのだけど、それが正しいかどうか、そこに飛び込んで後悔しないかが、わからない。

…これまでの人生も、こうやって熟考しすぎて期を損じまくっているところがあるので、本当はちゃっちゃか辞めるべきなのでは、とはいまだに思うし、そこもまた悩みなんだけれど。

それでいて、そこの悩みにリソースを割いてしまい、本来の悩みが滞るという魔のパターンも起きているな、と自覚はあるのだけど。
なかなかどうして、うまくいかず。

本来はGWにそのへん、じっくりたっぷり悩みたかったのだけれど、潤沢に時間がある上に充分リフレッシュしてしまったから、休み中は「ま!いいや!なんとかなるなる!」と思っていたし、なんなら「仕事のやる気が出てきたぞ~!」とも思っていた。

しかし蓋を開けてみたらば、頭はくらくらするわ、眩暈はひどいわ、なんだかおなかも痛いわ、社の空気を吸うだけで今にもぶっ倒れそうなぐらいに具合が悪い。
これは精神的なものなのか、それとも昨夜久々にファーストフードを食らって胃が仰天しているのか、休み中と違って睡眠時間が短いからなのか、いったいどれが原因に当たるのか、よくわからないが、もしかすると“五月病”というヤツかもしれない。

五月病の脳味噌で考える限りは「こんなにツライ思いをするぐらいなら、いますぐ会社は辞めるべき!」「ツライ思いを消費するのに毎日いっしょうけんめいすぎて、まるで前向きに考えられない!未来がない!」としか思えない。


どっちがいいのだろう。
辞めてしまって、退路をなくしたほうが、前進出来るだろうか。
それとも果たして、このまま収入だけは得続けたほうがいいのだろうか。

最近やっと気がついたのだが、どっちにしろ精神衛生はまったくよろしくない。
寝ているだけで月100万くれるような仕事がしたいと常々思うが、どうもそんな仕事はなさそうなのである。
人生はつらい。


はあ~~~~~~あ。