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ロンリーナイト

彼氏と金がほしい26歳喪女の独り言です

 

せんじつ、会社を辞めたいが辞め辛い(意訳)という旨のエントリを書いたが、じっさい、辞め辛い理由のいちばんは「この先の未来がわからない」ことではないか、と思う。

 

私はそもそもぐうたらな人間で、出来うることならば、仕事もせず、食事もとらず、永久に眠るだけの日々を過ごしたいと思っている。
そんな人間なので、もちろん仕事がきらいだ。外に出たくない。

だから、会社を辞めたら、しばらくはゆっくり休む時間を取ろうと思っている。
この数年、引きこもりたい自分の気持ちに鞭打って働いてきたので、心が根を上げている。
すこしリフレッシュできればなと、思うのだ。

 

しかしそれを許さないのは己の内面の現実的な部分である。

 

ぐうたらな人間だが、そのわりにわたしは現実主義者だ。
空想というか、妄想というか、毎日のようにアイドルになってステージで歌い踊る想像とかをして生きているが、それが現実に起こらないことは十二分に存じ上げている。
だって自分はかわいくない。
運動神経もよくないし、なによりもうそこそこのイイトシである。
もちろん、そればかりが理由のすべてでもないけれど、「毎日のように想像してしまう」ものでも、理性的にきちんと否定ができるのだ。
それは、まあ、誰しもがそうだろう。

だから、今回の件についても、「ゆっくり休んでいるあいだ、お金は?」と現実的なことを考えてしまう。
そうなると、「やっぱり辞めないで勤めていたほうが身のためなのでは」とか、引き返す方向に思想が進む。


「ここからが新たな夢なんだ、やりたいことやろう」と思っても、上記のアイドルの例えのように、必ず自分がそれを否定してしまう。

 

作家にもなりたかった。でも、そんなに面白い話が思いつくわけがない。

占い師に憧れていたりもする。でも、そんなスピリチュアルなもの、どうやって身につけられるんだ。

マニキュアやネイルも好きだ。でも、わたしは手先が器用じゃないし。

ほんとうはデザイナーになりたかった。でも、賃金低そうなイメージなんだよなあ。

 

じゃあなにならいいんだ、ってなると、「今の業種」なので、そういった求人を探す。
いまより大変そうなところ。すこし条件がいいが、勤務地が遠いところ。パーフェクトな求人というものはない。
それを見ているとげんなりしてきて、夢も希望も、やっぱりなくなってしまう。
それだったら苦労して辞めて、苦労して就職する意味ってなんなんだろう、と感じる。

 

辞めてゆっくりしているうちに「やりたいこと」が見つかって、「それを否定しない心」がうまれるかもしれない。

そう願っていちおうは退職を願い出てみるつもりだ。

もっと門出だとか、そういった気分になりたかったのだけれど、いまはただただ、重い荷をおろしたいという気持ちでしかない。

この先に幸せは、夢は、わたしの未来は、あるのだろうか。

この24時間の話

 

24時間ほどまえのわたしは、会社に居た。
仕事はしていなかった。やるべき作業がなかったのだ。
思えば入社したてのころは、そんなとき「なにかお手伝いすることはありますか?」などと声をかけて面倒を引き受けていたのだが、いつしか会社や上司に失望し、軽蔑を覚え、そうすることをしなくなっていった。

だからもう会社を辞めたい、もう辞めよう、そうこの二年ほどずっと思っていて、この頃やっと決意がかたまった。
辞めないほうがいいのではないか、という思いもいま私の胸にはおおきくあるのだけれど、愚痴を聴いてくれる友達がみんな「その会社、早く辞めたほうがいい」と心配してくれるので、その気持ちには報いなければならないと感じたのだ。

さて、わたしの仕事は17時で一区切りである。
定時は17時ではないのだが、いってみれば17時が閉店で、そこからの一時間ほどは店内の清掃など裏での仕事がある、といえばわかりやすいかもしれない。
ただ、これはあくまでモノの例えであり、現実には17時に一区切りしたあともやるべきことというのは特になかった。
そのあいだ勉強などをしてコツコツ頑張っていたのは序盤の二年間ぐらいのモンであり、今の私はそんな気力すらうしない、ひたすら「嫌いな上司のそばにいること」「嫌な会社にいること」を我慢することに体力を注いでいた。

どう考えても無駄な体力であることは一目瞭然だ。
早く辞めるべきである。
ちょうどヒマで、ということはおそらく上司も仕事がない。
17時を過ぎれば、時間も取ってもらえるだろう、さあ、言うのだ、「すこしお時間よろしいでしょうか」と。
「会社を辞めようと思います」と、きちんと言いに行くのだ、と。

そうは思ったのだけれど、17時を過ぎ、10分経っても、20分経っても、その言葉はとうとう言えなかった。

これは金曜日だけの話じゃなくて、今週一週間、ずっとそうだった。
毎日、隙を狙うのだけれど、どうしても言うことが叶わなかった。


理由はたくさんある。
嫌いな上司と二人きりで話したくないのもあるし、私から上司を呼び出したことなんて、勤めはじめてから一度もない。上司はとてもおちゃらけた人だから、真面目な会話をしたことっていうのも、ない。迷わずに相談できるような頼れるひとであれば、ハナから嫌ってなどいないし、会社を辞めようとも思わない。(これは愚痴です、すいません)
勇気を出したところで、会議室が空いているかもわからない。

それに、辞めたあとはどうするのだろう。

お金は。引っ越しは。アパートの更新、したばかりだけど。
東京に勤めたままにするのか、それとも田舎に戻るのか。
ほんとうは一か月ぐらい英気をやしなってから再就職がしたいのだけれど、人生、そんな雑な考えでだいじょうぶなのか。
再就職できたところで、その会社、いまより苦しい可能性だってごまんとあるんじゃないか。
環境が悪いように言っているけど、わたしに問題があって今こんな状態なんじゃないのか。


不安は尽きない。

そんな状態で「辞めます」と言えるほど、わたしは強くない。


しかし、もう二年ぐらいずっと辞めたい、と思っている。
朝、どうしても起きられなくて、会社に行きたくなくて、逃げるように休む頻度も増えてきてしまった。
会社にはこれでも重宝されているけれど、でも、待遇がよくなるってことはないように思う。

腹は決まっている。
でも、覚悟が足りていない。
この覚悟はきっと、毎日、会社に行って、苦しい環境に耐えているうちに、ちょっとずつ損なわれてしまっているんだと思う。


どうしたら覚悟は決まるだろうか。

 

 

そんなことを考えていたせいか、昨夜はごはんが食べられなかった。

なにをするでもなく、食器を洗うぐらいがせいいっぱいで、あとはずーっとツイッターを見ながらぼんやりとしていた。
そんなことをしているぐらいなら、まだ漫画読んだり、絵を描いたり、つまり好きなことをしているほうが英気を養えるって知っているのだけれど、もはやなにもしたくなかった。
だけど、誰かがこの世界で生きて居ることだけは感じていたくて、ずっとツイッターから離れられない。

そうして脳を使ったせいか、たっぷり眠り、今日は昼を過ぎてからやっと起きた。
昨夜はお風呂にも入れなかったので、とりあえずシャワーを浴び、洗濯機をまわした。
ここだけで自分を褒めてあげたいぐらいだが、自分に甘くあることを自分が許してくれなかった。
けれど、やっぱりどうする気もこうする気もおきなくって、ぼーっとして、ネットをうろうろしたり、ツイッターを開いたり、興味もないソシャゲをちょっとやってほっぽり出したりして、そうしてブログの存在を思い出した。

と、ここまでがこの24時間の話です。

 

さて。
ここから先はまだ自由な未来なわけだけれど、もう16時半かぁ。なにができるかなぁ。

このままぼんやりして、死んだように生きるのも、ほんとうはきらいじゃないし、むしろ大好きなんだけれど、他人の人生と比較してむなしくなってしまう。
ツイッターやインスタを見なければ、比較もできないから、そういうことは気にならなくなるのかな。
もうすこし強くなりたいな、としみじみ痛感する25の昼過ぎです。ああ、25でいられるのもあと一ヶ月だな…。

お洋服の一軍と二軍


わたしの箪笥には、一軍のお洋服と、二軍のお洋服がいる。

それどころか、たぶん、三軍ぐらいのお洋服もいる。
これはいわゆる「部屋着」に降格した衣類で、かつては外でも着歩いていたがヨレてだめになってしまったシャツやカーディガンなどがそれにあたる。


一方の一軍と二軍であるが、これはもちろん、外に着ていくためのお洋服だ。


具体的な内訳としては、
一軍:遊びに行ったり、飲みに行くときの服
二軍:ただ会社に行って帰ってくるときの服

こんなかんじ。


箪笥のなかの勢力図として、一軍の服が20%ていどなことに対し、二軍の服は80%、つまり大半を占めている。
これはいかに私が外に遊びに出ないか、会社と家を行き来するだけの生活を過ごしているかを物語っているようだ。

しかし、ふと気がついたのだけれど。

むしろ洋服がないからこそ、会社と家を行き来するだけの日々なのではないだろうか?


結構多いのが、「今日、このまま渋谷あたりに出ようかと思ったけど、今日の服ダッサイからまっすぐかーえろ」というパターン。
財布にはたいへんにやさしく、ありがたい話なのだが、毎回こんなことばっかり考えている気がする。
ごくまれに、日中、友達から「今日このあと飲みどう?」なんて話がきたときも、おおむね断らざるを得ない。
このへんは、わたしがたいていスッピンで出社している干物女であることも影響しているのだが。

とはいえ。
わたしは大変ビンボーであるので、遊びに出ることが減るのは大変よろこばしいことだ。
それでモチベが下がろうが、しかしない袖は振れない。

ただ。
最近気がついたのだけれど、仕事の能率も単純におのれの容姿に直結してくる。

というか、私は単純なので、カワイイ服やキレイな服を着ていれば、テンションが上がり、そのままウキウキで仕事ができる…ことが多い。


どんだけいい服を着ていようがわたしはわたし、ビンボーで仕事ができなくってぼんやりしている干物女(そろそろ26歳・彼氏なし暦イコール年齢・趣味は男性声優の追っかけ)なのでいきなりメキメキと仕事の能率がアップするわけではない。
しかし、トイレに寄った際、鏡にうつる自分のコーディネイトが良いと、ちょっと胸がおどる。

 

って、世の女性からみればいまさらな話なのかもしれない。
が、わたしは1万円あったら2千円で服を買い、残りの8千円は課金するタイプのソシャカスなのである。
いちおう、ちゃんとした場に出られるようなお洋服もクローゼットにはあるけれど――それが“一軍”である――たいがいはおのれを飾らない、オタクなのだ。

そんなオタクだが、ようやっとこのごろ「仕事のためにも、一軍の服しか持たないほうがいいのでは?」ということに気がついた。
と、いう話。


とはいえ、何度も重ね重ねいうが、わたしはビンボーなのだ。
そもそも「1万円あったら」という前提がまちがっている。

1万円なぞ、ない。

いや、あるが、それは生活費or貯金なのだ。


そんな状態で二軍の服を処分し、一軍の服に入れ替えることなど、とうてい不可能である。

しかし考えてみてもほしいのだが、転職するなり、副業(キャバクラとか…)するなり、結局身なりはきちんとしておかねばならないのだ。
そこにもお金がかかるが、そこにかけるお金がない。
いや、ないことはないけど…まだ貯金などを崩してまで、おのれの容姿などを整えるだけの勇気がない、というべきか。
あるいは、「それをやってしまったら投資のぶんだけ取り戻さなければならないが、そのステップアップに耐えうるだけの根性や覚悟が、まだ、ない」というのが正しいかもしれない。

いつまでもうだうだ言っていられる年齢ではないので、そろそろこの「自己投資」をはじめるべきだろうな、とは、思いつつ…。


眠いというか、瞼が重い


これはいったい、なんなのだろう。

 

わたしはもともとロングスリーパーぎみで、中高のころは12時間は寝ないと不調となり、ぼんやりとしてしまうタチだった。
社会人になってからはそんなに寝れる時間が取れるわけでもないから、睡眠をキープするだけでも難しいのだけど、それでもなんとか6時間ぐらいは眠れるように気をつけている。

ロングスリーパー「ぎみ」という曖昧な表現なのには理由がある。

不眠症「ぎみ」でもあるのだ。

寝つきが悪いし、朝、いつまでも起きられない。
つまり、「睡眠時間をおおく取らねばならない人種」ではなく、「睡眠の質が悪いから、じりじりゆっくり、たくさん寝なければならない人種」という可能性もあるのだ。
いったいどちらなのか、それとも、そのどちらでもないのか。
いろいろ調べてみても、どちらにも当てはまる部分、当てはまらない部分があって、いまいちピンと来ない。

このごろはとみに寝つきが悪く、ついでに朝早くに目が覚めてしまうことが続いていたから、わたしのなかでは「ロングスリーパー説」は下火で、「不眠症説」が有力視されていた。
ゆえにわたしは運動の機会を増やし、朝シャンから夜の入浴に切り替え、アロマオイルの導入、部屋の換気など、思いつくかぎりの熟睡のプランを試してきた。

同時に、導入したものがある。

快眠サイクルというアプリだ。

play.google.com

このアプリは、自分の睡眠における熟睡ぐあいをグラフにしてくれるものだ。

4月の末から使い始めて、おおむね3週間。
その信憑性はともかく、これを導入してから、とにかく寝ることが楽しくなった

このアプリは目覚ましが入っていることもあって、基本、朝起きたら一番に目にするのが、このアプリの画面となる。
目覚ましを止めると、そこにはひとばんじゅうの自分の眠りのリズムが表示される。
このグラフは個人的には参考程度、と思っているのだけれど(明らかにここ起きてた…みたいな時間も寝てることにされたり、が、結構ある。逆に、ここ寝てたのになんでかグラフが動いているな…もある。それが「睡眠の質が悪い」状態なのかもしれない)それを見ていくのが楽しい。
過去のデータも見られるから、昨日、先週と比較することもできる。

 

さて話を本題に戻すと。

このごろは「不眠症」ではないかと疑ってきた私だったが、実はやっぱり「ロングスリーパー」なのでは?と疑い始めたのは、このアプリのおかげでもある。

アプリで逐一己の睡眠サイクルを見ると、おおむね床についた時間のトータルこそ7時間、8時間ぐらいあるのだが、そのうち眠れている状態は平均して4時間、5時間ぐらいなことが多かった。
これは「睡眠の質が悪い」状態だと思う。(たぶん…)
やはり不眠症がちなのかな、と考えていたのだが、まとまったグラフを順に見ていて気付いたことがあった。

どうも3日に1度は深々と熟睡できる日があるのだ。
そういったときは、平均して7時間ぐらいは眠れている。ように見える。

ふかく眠れたその朝、毎日これぐらい熟睡したいものだな~と思いながら通勤、出社したのだけれど、様子がおかしい。
眠りが浅い日よりも、あきらかに調子が悪いのだ
寝すぎなのか?とも思ったが、どうも違う。
あくまで「眠りが浅い日に比べれば不調」であり、その「眠りが浅い日」というのもたいてい不調なのだ。
不調な日よりもより不調、というべきその状態は、寝すぎでぼんやりしているのとも、ちょっと違う。
明らかに睡眠時間が足りていなくて、脳がぼーっとしてしまい、なんの仕事も手につかなければ、考えねばならないことも考えられなくなってしまう。

これこそが「眠いというか、瞼が重い」という異常ステータスである。

まあ、それは、いま現在のことでもあるのだけれど。

パソコンの画面を見続けることができず、仕事に支障をきたしまくっている。
いまこれを打っている最中、毎秒ずーーーっとまばたきをしていれば多少連続して画面を見続けられることに気がついたのだが、それでも視界は遮られるし、エネルギーや意識も使うので、けっこう効率が悪い。

思えば、たっぷり熟睡したはずの今日の朝でも、寝起きの感想は“よく寝た”ではなく“もっともっと寝たい!”という欲求だった。

というところから、やっぱりロングスリーパーなのか…?という疑いが顔をもたげている。

単純に疲れているのかもしれないし、特に四六時中パソコンを見ている必要のある仕事だから、目のダメージは相当だと思う。
もしかしたら、ごくふつうに、そういった目のまわりの話かもしれない…。

しかし、眼科にかかってもらった目薬を使って、毎日マッサージもして、ホットアイマスクをして、ブルーベリーのサプリを欠かさず飲んでいてこれとは…つらい。
今日から目の体操もやっていこうかな…。
あまり目を伏せていたりするとサボっているようにみられるので(パソコンと向き合っていないとサボりとみなされがち…)それはなかなか難しいのだけれど、人目を盗んでそれもやっていきたいところ。

転職したいっていう話


久しぶりに。
思考整理のお時間です。

すぐにでも転職したい、してやろう、と考えていたのだけれど、結局それは中断。
理由としてはさまざまあるけれど、やはり一番大きいのは「収入が途絶えると困るから」。
やりたいこと、やらなければいけないことは多いし、それでなくたって生活するには色々用入りなわけで、ここで無職となってしまっては大変困る。

それに、出来たら「転職するにあたっての準備」をしてからのほうがいいな、と当たり前のことをふつうに思った。
例えばだけど、今の私はまだどんな業種の、どんな雰囲気の社に就きたいかというビジョンが曖昧だったりする。
一応、あるにはあるのだけど、それが正しいかどうか、そこに飛び込んで後悔しないかが、わからない。

…これまでの人生も、こうやって熟考しすぎて期を損じまくっているところがあるので、本当はちゃっちゃか辞めるべきなのでは、とはいまだに思うし、そこもまた悩みなんだけれど。

それでいて、そこの悩みにリソースを割いてしまい、本来の悩みが滞るという魔のパターンも起きているな、と自覚はあるのだけど。
なかなかどうして、うまくいかず。

本来はGWにそのへん、じっくりたっぷり悩みたかったのだけれど、潤沢に時間がある上に充分リフレッシュしてしまったから、休み中は「ま!いいや!なんとかなるなる!」と思っていたし、なんなら「仕事のやる気が出てきたぞ~!」とも思っていた。

しかし蓋を開けてみたらば、頭はくらくらするわ、眩暈はひどいわ、なんだかおなかも痛いわ、社の空気を吸うだけで今にもぶっ倒れそうなぐらいに具合が悪い。
これは精神的なものなのか、それとも昨夜久々にファーストフードを食らって胃が仰天しているのか、休み中と違って睡眠時間が短いからなのか、いったいどれが原因に当たるのか、よくわからないが、もしかすると“五月病”というヤツかもしれない。

五月病の脳味噌で考える限りは「こんなにツライ思いをするぐらいなら、いますぐ会社は辞めるべき!」「ツライ思いを消費するのに毎日いっしょうけんめいすぎて、まるで前向きに考えられない!未来がない!」としか思えない。


どっちがいいのだろう。
辞めてしまって、退路をなくしたほうが、前進出来るだろうか。
それとも果たして、このまま収入だけは得続けたほうがいいのだろうか。

最近やっと気がついたのだが、どっちにしろ精神衛生はまったくよろしくない。
寝ているだけで月100万くれるような仕事がしたいと常々思うが、どうもそんな仕事はなさそうなのである。
人生はつらい。


はあ~~~~~~あ。

 

 

知らない景色を見てみたい

と、痛烈に思う日々が続いており、いかにこのごろの生活が会社と自宅の往復で終わっているのかを実感する。

 

いちおう本屋に寄ったり、外食をしてみたり、映画を眺めたり、したんだけれど、たぶんそういうことじゃない。
わたしが求める「知らない景色」とは、もっと未知なるものだ。

わたしの勤める会社は都内のはずれのへんてこりんなところにあって、まあ、でも、それなりに便もいいほうで、その気になれば渋谷新宿池袋あたりにくりだすことはむずかしくない。
でも、家の方向とは真逆のそこに、仕事おわりにいっちょ行こうか、とはあんまり思えない。
帰るの遅くなるとねむたくなるし。お金、ないし。ていうかそれが一番デカイ。お金がない。
家とは真逆の方向へいくには、運賃がかかる。
しかも、わたし、定期とか持っていないから、そこから自宅に戻るにもやっぱり運賃がけっこうかかる。
そうのを考えてしまうと、もうどこにも行かんで、電車5分、徒歩20分の会社と自宅の往復を選んでしまう。

行ったことはあるけどあまり知らなくて、学生時代にとおっておきたかったな、という街がある。
吉祥寺だ。
わたしは人生をほとんど山手線だけで終えているので、それいがいの路線の乗り方とか、駅とか、なんだかよくわからない。
吉祥寺という駅へいくには、どこのなに線に乗るべきかもわからなくて、それはほとんど恐怖にちかい。
知らないことはこわいし、それでいて恥であり、さらけ出すことがむずかしい。
だから、「吉祥寺へいこう」などと思うことはなく、見たいライブなどのおりに仕方がなく降りたことが数回ある程度だった。


ただ、「吉祥寺へいきたい」と思うことが、たまにある。

 

いまもそうだ。
たぶん吉祥寺にいったからといってなにがあるわけでもなく、ちょっと心惹かれるあれやこれや、わたしの生活圏にはないそれやこれやが落ちているばかりで、きっと楽しみ方をしらない、世界をしらない、どこになにがあるかがわからない、そして調べるのも億劫なわたしに100パーセント楽しめるかといったら、そうじゃないと思う。
ぶっちゃけていうとべつに吉祥寺じゃなくて、下北沢でもよければ巣鴨でもいい、見知らぬ、わたしの生活圏(ちなみに品川から横浜あたりまで)にない空気に触れられたら、それはきっと、なんでもいいのだ。

あと、ふしぎなのは、「誰かと一緒じゃいやだなあ」と思うことで、ひとりで知らない街をうろうろしてみたいのだった。
未知なるものはおそろしい。
ひとりで知らない街を歩くなんて、想像するだけで背筋がふるえるほど寒気がするのだけれど、そういうワクワクと紙一重のゾクゾクを摂取したくて、たまらない。

 

やりゃあいいじゃん、と書いていても思うのだけれど、なんにせよ運賃すらケチる人間には冒険の権利すら与えられないので、わたしは今日もひとり、あまり知らない土地に思いを馳せるのだ。

note

 

note。

まあ、有名といいますか、認知度は高いサイトのひとつかと思います。
わたしはきほんツイッターを中心にネットを過ごしており、おおむねインターネット上のサイトというものは「ツイッターでリンク踏んだら連れて行かれた場所」しか知らんので、はじめはこのHatenaも、そしてnoteも、「ああ、なんかそういや見たことあるわ。ツイッターで」ぐらいの感覚です。
なので果たして一般的ネットユーザーからどれほどの知名度を誇るのかっていうのはよく存じないのですが、ツイッター廃人的には、「たまにリンク踏んだら連れて行かれるところ」というイメージ。

そんなnote、先日不意にツイッターでリンクを踏みましたらやはり連れて行かれまして、その記事が大変おもしろかったんですね。
で、そういえばこのサービスってなんなんじゃろ?よくわからんが、こういう文字いっぱいのやつはおおむねHateanかな?と思ったら、note、とあったんです。

ほう。note。そういえばなんか、見たことがある気がしなくもない。

そこから興味を持ちましてnoteのなかをあっちこっち。
しかしまあ、noteってなんだか掴みづらいんですよね。
すぐさま文章や漫画、コラムは目にできるし、コンテンツの傍受はラクなんですけれど、そのサービスの全容がいまいちわからないといいますか。

ちなみに、わたしがはじめにnoteで目にした記事というのが、こちら。

noteがいかほどの荒野であるかというのをハードに綴ったメキシカンな記事である。
これを読みながら、いったいnoteとはどんなおそろしき場所なのか…と興味本位でトップページへ行き、無料登録をし、ネット暦1X年、もはやネット歩き方なんてわからないわけがなかろうと堂々闊歩をしたのですが、まあ、よくわからんのですがこれは。

 

よくわからんというのは先述のとおりのサービスの全容のことであり、「記事に値段がつけられる」とかそういうのはよおくわかるのです。
わかるのですけれど、従来の同一サービスとはなんだか雰囲気が異なる。
なんといいましょうか、公立のそのへんにありふれた高校に通っていた女の子が両親の海外出張にともない山奥の全寮制女子校に放り込まれてしまったときのような、確かにここは日本であり学園である、けれど作法が、礼儀が、ルールがいまいち透けて見えて来ないのだという、そういう漠然とした不安があります。

いや、自分でもちょっとなに言ってんだかわからないんですけど。

もしかしたら、おのれの勘があまりに悪すぎるだけなのかもしれない。

ただ、こんな漠然とした気持ちになることなんかそうそうあることではなくって、それもネットの海のなかで!もはやネットなんて「俺の庭」ぐらいのつもりでおりましたので、久々にひどく新鮮な気持ちです。

これはKindle Unlimitedに出会ったときにも似ている。
急に人生がすこし楽しくなったというか、視野が広がったというか、そんな気分です。まあ、ゆうても見てる場所は結局ネットの海なんですけどね。