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ロンリーナイト

年齢イコール彼氏いない暦な腐女子のひとりごと

やる気スイッチ

やる気、ありますか?

私は

 

まったくありません。

 

いや、いやいや、あるっちゃある、あるんですよ、なんかもう仕事においてここをもっとこうしたい、とかお部屋をこう改善してこんなふうに暮らしたいとか、そのためにはああしようとかこうしようと色々脳内ではコネコネ考えちゃいるんですけれど。
でも、それはいわゆる「机上の空論」というか、考えているときがピークであって実行できるかっていったらそうじゃないんですよね。
けものフレンズでいうところのビーバーちゃんみたいな性格しているというのもあって、考えすぎて先に進まなかったり。

dic.nicovideo.jp



あとは、考えただけで満足してしまったり。

やろう、やろう、とは思っているんですけれど、いざ実行できてるかといわれたらぜんぜんそんなことない。
で、時間ばっかりが滔々と過ぎ、いつしか年を重ね、そうして老い、死にゆくさだめなのではないか…。
ぐらい壮大なことを考えるレベルで、ほんと、なにもできません。

 

いちおう、あの、やらなきゃいけないことぐらいは済ませていますけれど。
仕事においても生活においても、「プラスアルファ、これができたらいいのになあ」がなかなかうまくいかない。
それを実行するやる気がない。
やる気スイッチ、オフ状態です。

 

あまりにやる気がなさすぎて、やる気を出す方法をネットで調べたり、本を読んだりしているのですが、たびたび見受けられるのが「やってみないとエンジンがかからない」理論。

脳科学者がおススメする、やる気が出ない時にやる気を出す「スゴイ方法」|Career Supli



上記の記事における「やる気ポイント7. 「まずは行動」」というのもそれにあたるのかな、と思います。
やってるうちにエンジンがかかる、覚えがあります。
というか、このブログ自体が「何かしなきゃいけないけどしたくないときのため、とりあえず動き出すきっかけになれば」と書き始めることも、ままあります。今もそうですが。

これは結構効いている気がしますね。
特に、わたし家事でいうと洗い物がとにかくダイキライ!なんですが、とにかくやり始めると終わることに最近気がつきました(遅い…)

 

ただ、「ブログを書く」もそうですし、私は趣味で小説とか書くことがあるんですけれど、そういう頭を使う作業・考える作業になってくると、まあ驚くほど効力がない気がします
同じ、ちょっとオタク趣味でいうとイラストも描くんですが、そっちはわりと効くので…考える必要があるかどうかっていうのが大きいのかなあ、と推測。
(うまいひとはイラストも考えながら描くんでしょうけれど、わたしの場合は息抜きにちょっと落書きする程度なので、脳味噌はほぼほぼ使いません)

 

あとは上記ブログで興味深いのは「やる気ポイント5. 「アイドルの映像を見る」」ですね。

思えば、学生時代はAKB48が好きでした。
握手会とかには行きませんでしたが、ライブの映像を見たり、DVD買ったり。
で、その学生時代はたくさん資格を取れていたので、わりと効果がないわけではないのかも…?
ただ、徹夜して勉強するガッツと体力があった時代だっただけのような気もしますね。
“頑張っている姿に元気をもらう”こともありますが、最近のアイドル、「頑張ってたのに報われないなあ…」と感じるケースも増えてきた気がするので、うーん…?

 


とりあえず気になったので、今日は、

  • とりあえずブログを書き始めてみて、
  • アイドルの映像とか見てみて、

さて行動はどうなったのかな、と、ちょっと見てみたいなと思います。


そんなわけで。

よーし!ここからやらなきゃいけないアレコレ、頑張るぞ~!

喪女OLの大冒険~ランチ編~


あなたはひとりでランチをした経験があるだろうか。

 

いまどき、あろうがなかろうがどっちにしろ大したことじゃないと思うんですけどね。
行ける人は行ける、行けない人は行けない。
私の周りは行ける子が多いですが、職場となると「ひとりでご飯だなんて絶対に嫌だ」というタイプの人が多いです。

かくいう私は、むしろ「一人のほうがいい」派。
小さな会社で同世代がいないため、「誰かと行く」となれば20年ぐらい先輩の方とかになってしまうので、そんなもん誰でも嫌に決まってると思います。正直。
ただ、前述のとおり「ひとりでご飯なんて嫌だ」派が多いので、入社してしばらくは、その大先輩がたとランチをしておりました。
でも大先輩がたも毎回ランチを奢ってくれるわけではないし、かといってこちらも毎日毎日昼ごはんに800円前後を費やす金があるか、って言われたら、圧倒的にないわけです。
それでも二年ぐらいはそうしていましたが……いやほんと、よくそんな金あったな自分!?
ただ負担が大きくなりすぎて、次第に体調不良とかを言い訳に、断るようになり、この頃は毎日デスクでコンビニご飯です。

作れよ、って話もありそうですが、ここは理由もなくもないので後述。

で、毎日コンビニご飯なわけですが、正直、飽きる

火を見るより明らかな話ですよね、二年間毎日コンビニご飯だなんてね。
まじめにいえばスーパーのお弁当とかカップラーメンとかファーストフードとかもたまには使いましたけど、まあそんな大した違いはないですよね。

 

そこで思うわけです、ランチに行きたい、と。

 

行けよ。

 

って思われた方、ほんとその通り。ごく当たり前。
だからいまのうちにことわっておきますけど、このエントリ死ぬほどどうでもいい自分語り&日記でしかないです、ハイ。

で、ランチに行きたいわけなんですが、ここで気にしすぎの性分が顔をもたげてきます。
ランチに行きたい、でも行けない。理由としては以下。

  • もともとは上司の誘いを断ってのコンビニご飯だったのに今更ひとりだけランチて
  • それはまだいいにしても、ひとりだけて
  • コンビニご飯に飽きてるだろうにひとりでランチ出来ない上司に若干申し訳ねえな(まあどうでもいいけど…)
  • っていうかあのオッサン、絶対「今日はどうしたの?」とか聞いてくるし、そこで「外で食べてきました」とか答えるの死ぬほど嫌だな…(※私は職場であんまり雑談したくない)
  • そもそも、他の部署の人たちとかち合ったら死ぬほど恥ずかしいな!?
  • しかもうちの会社でよくランチ摂ってるの、社長たちなんだよなあ~~~…


いやまあご覧のように死ぬほどどうっでもいい話なわけですが、波風立てず、ぼんやりまったりお仕事をしていたい私には結構なことだったんですよ。
改めて客観的に見てみるとなんで私が20年もキャリアが違う上司に遠慮せなあかんねんってヒシヒシ感じるのですが、こういう気にしすぎで人の顔色伺いすぎなのは性分ですから、もう仕方ないんですよね。

しかし、日に日に募る「コンビニ飽きた」という思いと、「外食がしたい」という感情。
夜に外に食べに行くより、安く、確実に満たされることがわかっている、「ランチ」という誘惑。
だけどな…と改めて振り返ると、めっちゃ大したことない「行けない理由」


え?行くしか。

 

というわけで、これがタイトルの由来であります「大冒険」のはじまりです。

どうだい、言っただろう、死ぬほどどうでもいいと…。

 

そんなわけで勇気を振り絞って行ってきたのは、会社から歩いて5分ぐらいの場所にあるうどん屋さん。
なんせめちゃくちゃおうどんが食べたい気分だったのです。
そこは以前、社長たち五名ぐらいと伺ったことがいちどだけあるお店。
食券形式で、女性ひとりは以前見かけなかった気がするサラリーマンたちに愛されるお店、でもお昼の時間だと複数名で行ってもバラバラに座ることになったので、まあ困るようなことはないはず。
っていうかそれだったら以前一人焼肉しにいったときのほうがよっぽど注目集めてしまったし、あれよりマシなはず、うんうん。
気になるのはやはり「会社の人と会ってしまったらどうしよう」ですが、そのときゃ別に適当に挨拶すりゃあ済む話なので腹をくくりました。
その適当な挨拶をしたくないから嫌だって話なんですが、私はうどんが食べたいんだ!

12時20分、辿り着いたうどん屋さん。
いちどは行ったお店、食券の買い方とか大丈夫だろ~と思っていたら食べたいメニューが見当たらず、一瞬戸惑ったり(てんぷらうどんを食べようと思ったら「素うどん+トッピングてんぷら」で頼む必要があったので、「てんぷらうどん」という食券が存在しなかった)
お水セルフなのか!?どうなんだ!?とか(セルフでした)
食器は下げるのか!?どうなんだ!?とか(そのままでした)
別にわからなくっても困るわけじゃないんだけれど、ちょっと恥ずかしい気持ちになってしまうから、澄ましていたい私にはちょっとしんどいハードル。
だけど、頑張って乗り越えてきました!

乗り越えて食べたおうどん。

やっぱりおいしい。

ほんとうは写メ撮って、ここに載せようと思っていたんだけど、早食いサラリーマンに囲まれて焦ったのでそんな余裕はありませんでした

っていうかおいしいはおいしかったけど、正直どきどきすぎてあんまり味もわかりませんでした。
味がわからないほど緊張するみたいな経験、ほんとにあるんだなあ…。

 

そして職場に戻ってきてみると、す~ぐ人に何食べてるか聞いてくる嫌いな上司すら特に言及なし。

も~~~~!!!!!!!!

自分の考えすぎっぷりが嫌になる~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!

と、改めて叫びだしたい気持ちですが、とりあえずは一件落着なのでした。

 

これでいつでもランチに行こうと思えば行けるようにはなったかな~!!気分晴れ晴れ!!!
仕事柄、「ちょっと郵便局に」なんてこともなく、常にデスクに張り付いているので、いつも気が塞ぐんですよね~…。
お金がないので毎日するわけじゃあないんですけれど、たまにはいいかなあ、と思います。

お金がないのでお弁当も考えているのですが、これは今回のランチの懸念でもありました「す~ぐ人に何食べてるか聞いてくる嫌いな上司」に見つかると色々言われて嫌だなあ、という理由で今のところやったことなし。
あ、いちどだけおにぎりは作ったかな…そのときはもちろん「それなに?どうしたの?」と言われましたが、お米余ったんで~とか適当なことを言いました。
いや、そんな会話ぐらい普通にしろやって言われたらそうなんですけど、理由あってその人のことがほんとに苦手なので…。

 

そんな、客観的に見るとほんっとにどうでもいいを極めているけれど、自分にとってはものすっご~く勇気を出した大冒険の記録でした。

処女におけるプライド

私はプライドが高い。
もはや、プライドのかたまりと言ってもよい。

 

誰にも弱味を見せたくないし、世界でいちばん最強でありたい(小学生か?)
でも、それでいて、確かに弱いし、なにもできない、自信なんてまるでないのも事実。


だけど「自分はほんとうはこんな人間じゃない」って思っていたいし、
だから、すごく出来る人や、美人な人、魅力的な人に出会えば出会うほど、しんどくなっていく。
私の知らないことを知っている人にすなおに驚き、リスペクト出来ればいいのに、
嫉妬してしまって、胸が苦しくなって、どうしようもない。


彼氏が出来ないのも、そのへんの理由もあるのだろうなあ、と思う。

まず「自分に自信がない」っていうのはよくないと、いろんな恋愛指南書で見る。
恋愛経験皆無の自分にはまったくもってわからんのだが、
よくないと書いてあるからにはよくないんだと仮定する。

そのくせ、プライドが高くて、弱さを見せられない。
口ではよく「私なんて部屋が汚くってダメだから~!」と卑下して笑い飛ばしたりするんだけれど、
マジで相手から「あんた、部屋汚いのダメだよ」って言われるとカチンと来る。
自分で言うのはいいんだけど、人に言われるとダメっていう…。
(これに関しては図星だから、というのもある。宿題やりなさいと怒られて、今やろうとしてたの!と反論するレベルのイライラ…子供か!)

加えていうと、なんか、「抱かれる」のとかも、想像すると「自分が見下されている」感じがして気持ちが悪くなる。

そうじゃないやり方もあるんだろうけど(ド下ネタだな…)
それはそれで性癖に合致しないのか、やりてえなってまったく思わないし…(ほんとド下ネタだな…!)

 

このまま一生を終えるのはイヤだなあ、と半年ぐらいまで思っていて、
いろいろ、彼氏を作る努力とかもしたんだけれど、
だんだん、もう、誰かに心許して、プライドを折るぐらいなら、
このままでいいんじゃないか、みたいな気持ちになってきた。

いつか、こういうプライドとか、生理的にイヤだなあと感じてしまうあれこれとか、
気にならなくなるぐらい好きな人が出来るだろうって、思って生きてきたんだけれど、
25歳になってもまず出会わないし、これが「白馬の王子様」待ちだったのかなあ、と悲しくなる。
自分としては、イケメンで金持ちで優しくて…なんて望んでいないんだけれど。
「ほんとうに好きになれる人」っていう漠然とした条件が、もう夢見がちだったんだろうなあ。

誰も知らない私でありたい

「誰かに私のことを理解してもらいたい」

って、きっと、人類みんな思ったことがあるんじゃないだろうか。

 

無論、私もそう思う。
私のことをわかってくれる人が増えると、うれしい。

些細なこと、たとえば、「ピーマンは嫌いだったよね?」とか言われると、それだけで嬉しくなったりする。

 

 

だけど一方で、「誰も知らない私」をどこかで保っていないと、おかしくなりそうになる。

一人が好きなタイプの人にはちょっと通じるんじゃないかな…と、思いたい。

 

誰にも言えない自分。
理解してもらいたくないわけじゃないし、たいしたヒミツなわけでもない。
たとえば、こんなブログをやっていることにしても、誰かに知ってほしいとは、まったく思わない。

誰も知らない、私しか知らない、自分。

 

それがいま、私の中に不足しているような気がしてならない。
ヒミツを作りにいかねば、と思う次第で、とりあえずヒミツのブログを更新している。


 

けものフレンズ

を、見ました。

 

一話だけはかなり早い段階で見ていたのですが、その後忙しさのあまりアニメにかける時間を取れませんでした。
というか、オタクだけどもともとアニメはそんなに好きじゃないんですよね…(アニメ見るぐらいなら原作やノベライズ版を読むタイプ)

 

疲れていると人が生きるだの、死ぬだの、そんな話って考えたくないんですよね。
中学のときとか“鋼の錬金術師”が流行っていましたけど、今もうあれを見返せるかといわれたら、結構キツイ…。
あと“デスノート”とか…いやどうだろう、あれは逆に理解しないままでも読めてしまう気もしますが。

で、話題の“けものフレンズ”。
こちらは、一話は脳味噌からっぽで見られることと、序盤から説明くさい話がまーったくなくて、いきなり冒険に出る!というところがすごく入りやすかったです。
ゲームのチュートリアルとかオープニングムービーを飛ばしたい人間に最適。
「わーい!」「たーのしー!」と語録ばりのことを考えながら和やかに、行き当たった困難にみんなで力を合わせて立ち向かい、乗り越えていく姿をぼんやり鑑賞できます。
NHKみたい」っていうのはほんとそのとおりだなって思って、なんだか小さいころに見た、たとえば劇場版ドラエもんであったりとか、劇場版クレヨンしんちゃんとか、そういうものにやや通ずるところがあるなあと思いました(みんなで力を合わせて!感が)

なんて考えていると、徐々に徐々に物語がシリアスめいていくのがまたいいところ。
序盤から一気に重たいと疲れてしまうのですが、「あれ?今の意味深だな…って思ったけど次の瞬間にはもうギャグしてるから、気にしなくていいのかな?」を何度も繰り返していくと、あまり重たさを感じないんですよね。
お風呂でもぬるめから徐々にあったかくしていくといいって言いますけれど、それに近いものがある。

まあ、この作品の場合は「考察班」の存在によってシリアスめいた部分があるのは周知のことでしたし、むしろそれが真であるか、という観点からも爆発的に人気を会得した気がするので、実は「徐々に」でもないんですけれど。
私も、シリアスさのところが気になって見始めたタイプの人間です。

 

そしてそのシリアスさ、怖いんだけれど、怖くないのもまたいいんですよね。

 

最新の11話、かなりの引きで終わっています。
めっちゃくっちゃ次週が気になって、あの子はいったいどうなってしまうの!?って状態。
下手したら「死ぬんじゃないか」という状況ですし、これが“Another”だったら死んでる。

だけど“けものフレンズ”の場合、まあ、死ぬことはないかなあ、という安心感があるのがすごく良い。

怖いし、続きが気になるし、あちらこちらに散見されるシリアスの破片や過去にあったアプリ版との繋がり、すっごく気になるし、想像してゾクッとするんですが、怖いわけじゃない。
この、怖いわけじゃないけど、世界観の広がりや練られたシナリオにゾクッと来るのが、なんかすごく快感です。


たまにはオタクみを出してみました。
そんな日曜日でした(もう月曜日ですが)


おのれの闇を語る

昨夜、闇を駄々漏れさせたブログを更新したので、ついでにおのれの闇について考えていた。
といいますか、「適応障害」や「ストレス」関係の本を読んでいたらば、そういった「育ってきた環境」なども大事だとあったので、色々思い返さざるを得なかった、というか。

 

親にとくべつ可愛がられなかった、という記憶はない。
今も仲良し家族だし、東京から引き上げて親と暮らしたい気持ちはいつまでも色あせない。
私が親ばなれできず、かなりファザコンをこじらせている一方、弟はかなりドライである。
LINEしても返事がないし、家族LINEでも唯一発言しない。
弟から電話の連絡を受けたことは、人生でただいちどだけだ。

そんな弟であるが、ちいさいころはすこぶる身体がよわかった。
しょっちゅう風邪を引くし、アトピーはすごいし、当時ちいさかった私にはなにやらよくわからないような病気をたくさんしていた。
いっぽうの私は健康きわまりない優良児であったので、弟が体調をくずすたび、母が弟につきっきりになるのは、まあ、そりゃそうだろうなあと思っていた。
祖母のところに預けられたことも、何度かある。
当時からひとみしりがちで、それが結構苦痛だった覚えはあるのだが、しかし祖母もやさしいひとで、孫が寂しくないよう、お散歩に連れ出して虹を見せてくれたり(この記憶、いまだに鮮明にある)、だいすきなセーラームーンのCDを買ってくれたり、色々してくれた。

そんなわけで、弟に母を取られたわけだが、寂しかったか、といわれると、いまいちピンと来ないのがしょうじきなところだ。
やはり私は寂しさとは無縁のこどもだったのかもしれない。



が、しかし。
同時に覚えているのは、自分はいつまでも指しゃぶりのクセが抜けなかったこと。
これ、自分でもず~~~っと忘れていたんだけれど、先日友達に「私ちいさいころ人の耳を触るクセが抜けなくてさ~!」と話したところ、「指しゃぶりのクセもなかった?耳触る子って、そういう傾向あるらしいよ」と言われ、そういえば…!!!となったのだ。

指しゃぶりって、なんとなく「寂しい子」がするイメージがあった。
ので、ググってみたら、やっぱりそういう傾向があるようだった。

私が指しゃぶりをしていたのは小学校の一年生ぐらいまでで、くわしい事情はあんまり覚えていないけれど、なんだか漠然と「学校」がふあんで、いやで、おうちに帰りたかった記憶がある。


家に帰りたかったぐらいなので、やっぱり家の中に不満や寂しさはなかったのかもしれない。
となると、学校がいやだったのだろうか。

 

そう考えると心当たりがある。

私は根っからのオタクなのだ。

 

わたしの同級生たちは、けっこうマセた子がおおくって、小学生ともなると「アニメなんてダサイ」という風潮だった。
なんなら幼稚園にしてすでに「セーラームーン(笑)」みたいな子がわんさかで、みんなディズニーとか、そういうアニメーションのほうが好きだった、気がする。

そんななか、私と来たら筋金入りのオタクなのである。
セーラームーンとか、当時でいえばセイントテールウエディングピーチ。女の子向けのアニメだけじゃなくて、弟が好きだったポケモンなども。
もう少し大きくなってくると、カードキャプターさくらミルモでぽん、とっとこハム太郎
このへんだけなら「女児向け」なんだけれど、私の場合は、そこに魔法陣グルグルまもって守護月天スレイヤーズのような作品もけっこう見ていて、大好きだった。


幼稚園の時代からすでに「アニメを見る=異端」な風潮のなか、そんな子がいたらどうなるかというと、すなわち迫害である。

 

とはいえ、表立った迫害…いわゆるイジメは受けなかった。
ただ、質問されるのである。
たとえば、女子のなかでもいちばんの権力者の子が、「私のこと好き?」と書いた手紙を授業中にまわしてくる。
ここで「嫌い」なんていえるわけもないので(正直なところをいえば「お前なんて知らん」といった気持ちだったが、もちろんそれもいえるはずがない)適当に「好きだよ」と返して送る。
すると、次の休み時間、権力者および取り巻きたちがこちらを見ながら聞こえよがしに「スキだって~」「無理しちゃって~」「すなおに嫌いって書けばいいのに!」とプークスクスしてくるわけである。

これは一例なのだが、こんなかんじで、「こちらに質問して、その回答がなんであれ小ばかにする」という動きが強かった。
これは私だけではなく、同じクラスの子であれば、いわゆる“陰キャラ”の子や、また強いグループに属している子でも時折裏切りを受けて、その被害に遭っていた。
(他のクラスではどうなっていたかは、私にはわからないが、少なくともわが三年四組はそうだった)

つまり私だけじゃないというのはわかっているのだが、思い返せばこの迫害が私のなかの「否定」として強くこびりついている。

なにをやっても笑われ、否定されてしまう、そんな気持ちはいまも強い。
はじめてアルバイトしたとき、みずから仕事を探して動くことが出来ず、居心地が悪くて震えていたことは、いまも覚えている。
あれは単なる人見知り、気が弱いだけで処理していたけれど、そうなった理由を根本的に紐解いていくと「なにをしても笑われる」という小学校時代のトラウマだったのかもしれない。

 

適応障害」について色々調べているうち漠然と気付き、そして今まで友達や先生、上司からも何度か指摘されていたのだが(そのときはピンと来なかったのだが)、どうも私は“自己評価”がかなり低いらしい。
なにか失敗したり、なにかうまくいかないこと
この自己評価の低さについても、このいじめというほどでもないけど漠然と陰湿な仕打ちによって出来たのかもしれない、と思う。
だって何しても一笑されていたら、そら自分のことを価値ある人間だとは思えなくなる。

素人考えだけど、ここで家族がもっと愛情深ければよかったのかもしれない。
やっぱりこの時期、弟は病気がちでいつも休んでいて、手のかかる子だった。
私が構って構ってとまとわりつくわけにもいかないし、なにより、学校でちょっとひどいことされたんだなんて恥ずかしくって言えるわけがない。
 
こういう一連が私をだめにしたのかな~、と、少し思う。

 

そして、書いていて思ったけれど、全部過去にしてしまえればいいのに、わたしはまだ、けっこう引きずっている。

だから、友達で元陽キャというか、はなやいだ学園生活を送っていそうな子を見ると、けっこう怯えてしまう。
友達で、そういう、学校の話になるまではなんでもなく付き合えていたのに、「元テニス部」とか言われてしまうと、エッ…と、驚いたのちに、とつぜん怯えがやってくる。
テニス部とか、バスケ部とか、そういう子は、私たちをゴミのような目で見てきた人種ではないか。
なにゆえオタクをしているのか。
オタクの子とはすべからく迫害の経験を受けて生きてきたと思っていた。
けれど、そうではないらしい。
それどころか、ふつうに生きてきた子もいるらしい。

環境の違い、といえばそれまでである。
私の場合は特にオタクを良しとしない同級生が多かっただけのことだと思う。
実際、いじめというほどのいじめは受けていないので、そこまで怯える理由もない。

なんだけれど、こういういじめとか、軽くばかにするような風潮って、やった側は忘れていたりするものだから、もしかして…とか思ってしまう。失礼なんだけれど。

 

これは被害妄想はなはだしい話だけれど、そうなるぐらいの被害を受けて育ってきたのだ。オタクといういきものは。

予断だけれど、私を迫害して生きていた野球部の男子をmixiで見かけたとき、「アニメ最高!」みたいなプロフィールをしていて、ほんとに、人のことオタクだといじめておいて今更なにを…!?と激しい怒りに打ち震えたのも覚えている。

 

やっぱり、こうやってかなり根に持っていて、いまだに「あのときのクラスメイト、全員殺す」ぐらいの強い感情を覚えることもあるので、このあたりの学園生活がいまのコンプレックスというか、ナチュラルに自分を卑下して生きている理由なのかもしれない、と思った。

 

どうでもいいんだけれど、ウワサによればこのごろの若い子はボカロとかラブライブの流行でオタクであってもそんなに迫害はされない、という話をきいて、喜ばしいことだなあと思った。
それでもやっぱりあまり気の小さい、暗いタイプの子はどうしてもこういった被害に遭いがちなんだろうけれど。

まあ、これをバネにする、ぐらいの気持ちで生きていくしかないのだろうなあ、と思うこのごろであった。

ブログ村

 

かっとなったので、 にほんブログ村 適応障害 こんなリンクを増やしてみた。

 

つまり参加カテゴリを増やしたのだ。
ただ、前にも書いたけれど、「基本言いたいことを言うだけ。でも誰も見てなかったら寂しいなあ」というだけのブログなので、これが正解なのかといわれるとなかなか困る。

そもそも正解とはなんぞや、という話でもあるのだが。

 

 

あんまりこう、ブログ村とかにおおっぴらに登録したい内容でもないのだけれど、ひとりは寂しいので、こっそり居させてもらおうと思います。
しょうじき、人のブログをあまり読むわけでもないので(読んだが最後、自分も触発されてああだこうだ書きたくなって、日に三度は更新するはめになる)このカテゴリも合っているのかわからないのですが、まあ、なんでもいいかなあと…。

 

でもあまりに場違いそうならそっと抜けます…。

先のブログで「適応障害」を出したのと、そしていま適応障害に関する書籍を読んでいて、そういう意欲が高まったので、うっかり勢いで登録してしまったのです…。